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2011 年 11 月




    再考:アメリカの未公開企業投資組織の発展形態
               ―1970年代以前のベンチャーキャピタルの史的考察―


                                                            城西大学 小野 正人


  1970年代以前の米国未公開企業投資組織の発展を再考察し、以下の特徴を確認した。①組織形
 態が同族型から会社型を経て個人集団型へと変態している。②株式会社組織では利益配分と組織
 運営をめぐって運営者間で意見が衝突し、人材のスピンアウトを通じて新しい組織と形態が生ま
 れている。③LPSによる投資組織は従来の株式会社型やSBICに比べて、規制、利益配分、組織運
 営の側面で柔軟性と自由度を確保できたためにベンチャー投資の実態に適合し、米国のベンチャ
 ーキャピタルでは次第にLPSの導入が拡大していった。



                                     として投資が行われていた。それらの個人運用には
    考察の対象と
1 序:考察の対象と視点
                                     充分に整備された運用組織や独立した会計勘定は存
 米国のベンチャーキャピタルは60数年の歴史を              在しなかったが、ロックフェラー家はEastern
持つにすぎないが、
        2010年末現在で1767億ドルの資           Airlines、McDonnell Aircraftの新興の航空産業に
産を運用する巨大な産業に成長している。その成長              投資を行い、ホイットニー家はTechnicolor(カラー
要因は一言で説明できないが、50年前には「risk            映画技術開発会社)や「風と共に去りぬ」等の映画
       (危険な投資)と呼ばれて金融エスタブリ
capital」                             に開発資金を提供するなど、将来の収益拡大に先ん
ッシュメントも手をつけようとしなかった新興企業              じて株式を取得するという新興企業への投資手法の
投資が、専門スタッフにより洗練された投資手法を              原型は成立していた。
用いて行う機関投資家集団に進化した
                「組織の進化」               第二次大戦後、こうした個人の未公開企業投資が
がその発展に寄与したという点に関しては、踏み込              組織化されていった。ロックフェラー家の投資運用
んだ分析はなされていないものの、肯定意見が多い              は、戦後1946年にRockefeller Brothers, Inc.へと組
ように思われる。                             織を変え、その後1969年にVenrock Associatesと改
 以下は、米国の1970年代までの未公開企業投資の            組され、現在もベンチャーキャピタルとして活動を
組織発展に関して、組織、運営、規制の各側面から              続けている。また、ホイットニー家も1946年にJ.H.
再考察を試みて要約を記したものである。                  Whitney & Companyへと会社組織に改組されて組
                                     織的な運用が始まった。同じく1946年、現在では世
                                     界初のベンチャーキャピタルとされるAmerican
  未公開企業投資の
2 未公開企業投資の組織化
                                     Research and Development Corporation(ARD)
    投資組織の
2.1 投資組織の創始                          が発足した。
 「ベンチャーキャピタル」という言葉を自社の事
業に初めて使ったのは1946年のJ.H. Whitneyの幹           ARDの
                                     2.2 ARDの発足
部であったBenno Schmidtとされているが 、それ         1946年6月に発足したARDは、独立した私的な投
に遡る1920年には「ベンチャーキャピタル」という            資組織というよりも、ニューイングランド地域の過
言葉が用いられたように(1)、第二次大戦以前から新            去十数年間の新産業振興運動が結晶化されたもので
興の未公開企業に投資する業態は存在した。1920年            あり、実質的には当地の財界や学界が出資した「連
代から1930年代にはロックフェラー家やホイット             合投資会社」の特徴を持っていた。
ニー家等の富豪の手によって個人資産運用の一手段               リスクは高いが将来に大きな経済価値と社会貢献



                                 1
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をもたらす可能性のある新興企業に対する資金供給                      第二に、組織運営の硬直性である。先のように上
の必要性は、既に広く認識されていた。ボストンで                     場会社としてのSECによる諸規則が適応されてい
は、1930年代から新興企業への投資育成に関して、                   た投資決定や投資先評価のルールと開示が厳格に要
財界や学界のリーダー達が会合や提言を重ね、一部                     求された。また、ARDはDoriotが最終決定者であり、
では投資組織も準備が進んでいた(2)。しかし1939年                 かつ精神的な唯一の支柱でもあったために、従業員
に第二次大戦が勃発したために組織設立の構想は中                     は彼の方針に従うしかないという上意下達の体制で
断され、大戦後に主導者の一人であったハーバード                     あった。こうした社内構造のために、ARDは機動的
大学ビジネススクールのGeorge Doriot教授(1899             で柔軟な投資運営が行いにくく、従業員の間に鬱蒼
~1987年)が米軍勤務から復帰し、環境が整った                    とした不満が長年にわたり生じていたとされる(5)。
1946年に設立されるに至った。
                                            2.4 人材流出
                                            2.4
    公募株式会社型組織
      株式会社型組織の
2.3 公募株式会社型組織の制約                             特にARDで起きた個人報酬問題は、ベンチャーキ
 ARDは未公開企業投資事業を行う株式型投資信                     ャピタル組織が株式会社型から後述するLPS型に
託であり、公募増資によって資金調達がなされてい                     移行する重要な要因の一つとなった。スタッフの要
る。出資した株主は、ニューイングランド地域の金                     求だけであれば社内問題に留まったであろうが、
融機関や事業会社、個人投資家である。創業後の10                    ARDの内部問題は人材のスピンアウトの形で顕在
余年は苦闘の時期であった。第1回増資は500万ドル                   化したのである。
の調達目標に対し1947年2月までに358万ドルを調                   1951年にはARD創業以来Doriotの右腕と目され
達した。1949年の増資時には発行株式の57%が売れ                  ていたJoseph PowellがARDを去り、その後1960年
残り、1954年には1件も投資を実行しないほどであ                   にはSBICのBoston Capital Corporationの社長に
った(3)。しかし、1957年にDEC(Digital Equipment       就任してARDの競争相手となった。また、1965年
Company)のスタートアップに出資した7万ドルの                  にはARDのスタッフであったWilliam Elfersと
資金は、同社の急成長とIPO(1966年)により3億                  James Morganが退社してGreylock Partnersを立
ドルを超える価値(出資額の約5千倍)をもたらし、                    ち上げ、西海岸で考案されたLPS(リミテッド・パ
ARDが26年間で得た利益の半分はDECの売却益と                   ートナーシップ)による投資手法を導入した。1970
される程の成果をもたらした。ARDはDECの大成                    年以降もARD出身の人材がボストン近郊でCharles
功によって新興企業への投資が利益を生む事業とし                     River Ventures、 AssociatesのLPS型のベンチャ
                                                           TA
て成立することを世に示した。                              ーキャピタルを開始した。
 その一方で、ARDには二つの内部問題が生じ、そ                     ARDは内部問題が解決しないまま、人材流出とい
れらが人材流出と競争力低下につながっていった。                     う形で組織の競争力が低下していった。1972年、
第一の内部問題はスタッフの個人報酬である。ARD                    ARDはTextron社に1株813ドル(設立当初は1株25
は公募株式で資金調達を行うクローズド・エンド投                     ドル)と設立当時の約32倍の株価で売却された。長
資信託であったために、1940年投資会社法に基づく                   年の低迷があったにせよ、ARDは株主に応分の利益
  (証券取引委員会)
SEC        の諸規則が適用された。SEC                   をもたらした。しかしARDの人材は既にスピンアウ
はARDに利益相反ルールに基づき、ARDの従業員                    トし、LPSを活用した私募ファンド型の投資組織を
に対し同社と投資先会社のいずれについても株式と                     創設した。ARDは公募増資により投資資金を募った
ストックオプションを取得することを禁じた(4)。こ                   株式会社の形態を維持したために、存続する力は残
の規制はARDの従業員の不満を募らせた。担当する                    っていなかったと考えることができよう。
投資先がIPOを果たして創業者が1000万ドルを超
える富を得ても、ARDの投資担当者は2000ドルの                       SBICの導入と
                                            2.5 SBICの導入と問題
ボーナスを支給されただけであり 、
                その担当者は結                      このように、ARDは1950年代から株式会社型の
果としてARDを退社した。従業員からみれば、ARD                   組織運営に帰する問題を抱えていたが、当時の米国
の給与賞与は他より低い上に増額は投資先の株式売                     はARDと同形態の未公開投資組織が拡がっていた。
却次第であり、将来に多額の利益を受け取る可能性                     連 邦 政 府 が 1958 年 に SBIC ( Small Business
がある投資先のエクイティは大きな魅力であった。                     Investment Companies)による支援制度を創設し


                                        2
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たためである。                                      が使われており、出資者にも支障なく受け入れられ
 当時のSBICの仕組みは、一定の資本額以上で出                     たという(7)。DGAのファンドは、Draper、Gaither、
資された投資会社に対して払込資本の2倍までの15                     Andersonの3名がジェネラルパートナーに就任し、
年の長期ローンまたは20年の劣後債を連邦政府が                      ロックフェラー家等の個人投資家と投資銀行
引き受ける制度であった。このスキームは未公開投                      Lazard Frèresがリミテッドパートナーとして出資
資事業への資金調達を容易にする効果を発揮し、                       し、総額600万ドルの資金規模でスタートした。こ
1961年末には590社のSBICが営業を開始していた。                 のGDAはLPSファンドの大口出資者であったロッ
 当時のSBICの大半は株式会社型の投資組織であ                     クフェラー家が資金を引き上げたために1967年に
った。SBICは1960年代後半から業績不振に陥り、                   わずか8年間で解散したが、先のARDと同じように、
不祥事も多発した。一説によると9割のSBICが規則                    スタッフであったWilliam Draper III(1965年に
違反を起こし、数十社が犯罪行為を起こしたという                                             、
                                             Sutter Hill Venturesを創業) Donald Lucas(エン
(6)。SBICは一定の要件を満たせば認定され、投資判                  ジェル投資家としてNational Semiconductorや
断や経験等の実務上の能力要件は問われず、設立後                      Oracleに投資)等がその後もベンチャー投資活動を
の投資運営と財務報告について一律に詳細なルール                      続け業界の発展に名を残している。
の遵守を求めるという
         「民主的」
             な仕組みであった。                        Arthur Rock(1926年~)は東海岸のニューヨー
このため、経験能力の乏しい会社も認定を受ければ                      ク州で育ちハーバード大学でDoriot教授の講義を受
連邦政府より融資が受けられた。SBICの制度創設                     けた。ビジネススクール卒業後はニューヨークの証
によりベンチャー投資に乗り出そうとした民間企業                      券会社Hayden Stoneに勤務し、1957年にFairchild
や商業銀行が多かったことも、実力が伴わない投資                      Semiconductorの創業時の資金調達を手掛けた。
会社を粗製濫造させる問題が生じた。さらに、SBIC                    Rockはこの仕事を機にサンフランシスコへ移り、
各社は景気後退によって投資先の不良債権を多数抱                      Thomas Davisと共に投資事務所Davis & Rock を
え、連邦政府向け長期債務の返済に支障が生じた。                      創設し、1961年にDGAと同様にLPSによるベンチ
 このように、当時のSBICによる公的な支援は全                     ャーキャピタル ファンドを組成した。
                                                    ・          このDavis &
米に未公開投資事業を拡げる効果を発揮したものの、                     Rock の フ ァ ン ド は Scientific Data Systems や
SBIC各社の組織運営と財務構造(資産負債のマッ                     Teledyneの投資によって大成功を収め、投資額300
   の側面において大きな問題点を持っていた。
チング)                                         万ドルに対し1億ドルの分配を行っている 。


                                                 LPSによる投資運営モデル
                                                    による投資運営
                                             3.2 LPSによる投資運営モデル
  独立プライベート投資組織の
    プライベート投資組織
3 独立プライベート投資組織の形成
                                              LPSの導入は、ベンチャーキャピタルが組織運営
3.1 西海岸における投資組織の誕生
    西海岸における投資組織の
       における投資組織                              を行う上で以下のメリットがあった。第一に、LPS
 新興企業が電子産業を中心にサンフランシスコ湾                      を活用した組織では関連法規(各州の会社法)以外
近郊で徐々に形成されていた1950年代から60年代                    の公的規制がほとんど存在しないために、運営上の
には、西海岸の新興企業投資はDraperとRockとい                  自由度が確保できる。第二に、事業を運営するジェ
う二人の東海岸出身者を中心に形成されていった。                      ネラルパートナー個人に対する経常報酬(マネジメ
 ニューヨークの投資銀行幹部や陸軍省次官を歴任                      ントフィー)
                                                  と投資の成功失敗に応じた成果分配
                                                                 (キ
したWilliam Henry Draper Jr.
                        (1894~1974年)は、       ャリード・インタレスト)を、LPSファンドを設立
1959 年 に サ ン フ ラ ン シ ス コ の 法 律 家 Rowan       する段階で確定することが可能であり、ベンチャー
Gaither 等と共に投資事務所Draper, Gaither and         キャピタルの運営において個人報酬問題は発生しに
Anderson(DGA)を西海岸のパロアルトに創設し、ロ                くい。第三に、LPSファンドはパススルー課税であ
ックフェラー家の個人出資等によってベンチャーキ                      り、株式会社型のベンチャーキャピタルへの出資で
ャピタル初のリミテッド パートナーシップ
           ・        (LPS)                    は二重課税であった出資者は、LPSファンドの利益
を使ったファンドを組成した。彼らが導入したLPS                     に対して課税されない利点を持っている。以上の
ファンドは現地パロアルトのCooley法律事務所が                    LPSの特徴は、ARDの内部問題を解決するに相応し
考案したスキームであったが、当時は既にテキサス                      く、同時にSBICで生じたような諸規制や資産負債
州の油田開発事業や不動産開発等でLPSの仕組み                      のミスマッチの問題を回避できる仕組みでもあった。


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 Davis & RockのLPSファンドの成功は投資家達          [注]
に広がった。1960年代後半以降、スピンアウト組や              (1) Rao and Scaruffi (2011), p.108。

新規参入してきたグループは、ARDや大半のSBIC              (2) Hsu and Kenney (2005), pp.584-585に詳しい記述がある。

のように株式会社が投資組織の運営者となるのでは                (3) Rao and Scaruffi (2011), p.110。

なく、LPSファンドを組成し個人集団がファンド運               (4) Hsu and Kenney (2005),p.608。

営者たるジェネラルパートナーとなって投資事業を                (5) Ante (2008), chapter 9, pp.147-174に詳しい記述がある。

始めた。                                   (6) Bartzokas and Mani (2004), p.54。

 その後、全米のベンチャーキャピタルが一挙に株                (7) DGAに勤務していたWilliam Draper IIIの口述録による。

式会社型からLPS型に組織改編された訳ではなか                    Hughes(2008), p.20。

ったが、新規参入した組織がLPSを導入し、現在は               (8) 例えばカリフォルニア大学では以下のサイトで公表している。

米国のベンチャーキャピタルの大半がLPSによっ                    http://bancroft.berkeley.edu/ROHO/projects/vc/

て運営され、株式会社組織を採用するベンチャーキ                (9) Ante (2008), p.213。

ャピタルはSBICなどの一部に留まっている。
 なお、この運営組織の発展は新スキームの導入だ                [参考文献]
けで実現できたものではない。不満を持った人間が                1.Ante, S.E. (2008) Creative Capital: George Doriot and the

既存組織からスピンアウトして新組織を始めるとい                    Birth of Venture Capital, Harvard Business Press
う米国における積極的な人材流動性、換言すれば自                2.Bartzokas, A. and S. Mani (2004), Financial Systems,

由な労働市場を通じた解決が、新しいLPS型の組織                   Corporate Investment in Innovation, and Venture Capital,
運営を導入し実現させていったと考えるべきだろう。                   Edward Elgar Pub
                                       3.Gompers, P. (1994) “The Rise and Fall of Venture Capital”,
                                           Business and Economic History, Vo.23, pp. 1-24
4. 結語
                                       4.Gupta, U.(2000) Done Deals: Venture Capitalists Tell Their

 21世紀に入るとNVCA(全米ベンチャーキャピタ                  Stories, Harvard Business Press
ル協会)やカリフォルニア大学によってベンチャー                5.秦信行(2001)
                                                 「シリコンバレーとベンチャーキャピタル」日

キャピタリストの個人史を記録するプロジェクトが                    本証券アナリスト協会『証券アナリストジャーナル』第39号

実施され(8)、これらの作業によって新たな史実が明              6.Hsu, D.H. and M. Kenney (2005)“Organizing Venture

らかになっている。本考察はそれらの関連文献を収                    Capital: The Rise and Demise of American Research &

集した上で、米国ベンチャーキャピタルについて組                    Development Corporation, 1946-1973”, Industrial and

織進化における特徴の考察を加えた。                          Corporate Change, vol.14, pp.579-616

 しかしながら、本考察は日本のベンチャーキャピ                7.Hughes S. (2008) “WILLIAM H. DRAPER, III : Early Bay

タルを含めた同時代の国際比較の側面には全く触れ                    Area Venture Capitalists”, Regional Oral History Office,

ておらず、今後の研究課題として残されている。く                    University of California, Berkeley

しくもARDで人材が流出し会社売却の構想が具体                8.Lebret, H. (2007) Start-Up: What We May Still Learn From

的に進んでいた(9)1971年の秋、京都経済同友会は米                Silicon Valley, Create Space
国ハイテク産業の視察を目的にボストンを訪問し                 9.小野正人(1997)
                                                  『ベンチャー 起業と投資の実際知識』東洋

ARDを視察している。京都経済同友会はARDにな                   経済新報社

らって新興企業投資の組織運営を構想した結果、                 10.Rao, A. and P. Scaruffi (2011) A History of Silicon Valley: The

1972年に日本初のベンチャーキャピタルとなる京                   Greatest Creation of Wealth in the History of the Planet,
都エンタープライズ・ディベロップメント(KED)                   Omniware

を発足させた。KEDと同じ1972年、現在は世界的              11.Reiner, M. (1991) “Innovation and the Creation of Venture

に超一流の評価を得ているKleiner Parkins 現在の
                          (                Capital Organizations”, Business and Economic History,

KPCB)とSequoia Capitalのベンチャーキャピタル           Vol. 20, pp.200-209

がスタートした。両者は最初からLPSを用いて事業               12.Riekert, P. (2004), Venture governance: venture

を始めたように、既に当時の米国のベンチャーキャ                    capital-backed startups in Silicon Valley and Tokyo, DUV
ピタルはLPSの時代を迎えていたのである。
                                         (本稿は、2011 JASVE 第 14 回全国大会の研究報告である)


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再考:アメリカの未公開企業投資組織の発展形態

  • 1. 2011 年 11 月 再考:アメリカの未公開企業投資組織の発展形態 ―1970年代以前のベンチャーキャピタルの史的考察― 城西大学 小野 正人 1970年代以前の米国未公開企業投資組織の発展を再考察し、以下の特徴を確認した。①組織形 態が同族型から会社型を経て個人集団型へと変態している。②株式会社組織では利益配分と組織 運営をめぐって運営者間で意見が衝突し、人材のスピンアウトを通じて新しい組織と形態が生ま れている。③LPSによる投資組織は従来の株式会社型やSBICに比べて、規制、利益配分、組織運 営の側面で柔軟性と自由度を確保できたためにベンチャー投資の実態に適合し、米国のベンチャ ーキャピタルでは次第にLPSの導入が拡大していった。 として投資が行われていた。それらの個人運用には 考察の対象と 1 序:考察の対象と視点 充分に整備された運用組織や独立した会計勘定は存 米国のベンチャーキャピタルは60数年の歴史を 在しなかったが、ロックフェラー家はEastern 持つにすぎないが、 2010年末現在で1767億ドルの資 Airlines、McDonnell Aircraftの新興の航空産業に 産を運用する巨大な産業に成長している。その成長 投資を行い、ホイットニー家はTechnicolor(カラー 要因は一言で説明できないが、50年前には「risk 映画技術開発会社)や「風と共に去りぬ」等の映画 (危険な投資)と呼ばれて金融エスタブリ capital」 に開発資金を提供するなど、将来の収益拡大に先ん ッシュメントも手をつけようとしなかった新興企業 じて株式を取得するという新興企業への投資手法の 投資が、専門スタッフにより洗練された投資手法を 原型は成立していた。 用いて行う機関投資家集団に進化した 「組織の進化」 第二次大戦後、こうした個人の未公開企業投資が がその発展に寄与したという点に関しては、踏み込 組織化されていった。ロックフェラー家の投資運用 んだ分析はなされていないものの、肯定意見が多い は、戦後1946年にRockefeller Brothers, Inc.へと組 ように思われる。 織を変え、その後1969年にVenrock Associatesと改 以下は、米国の1970年代までの未公開企業投資の 組され、現在もベンチャーキャピタルとして活動を 組織発展に関して、組織、運営、規制の各側面から 続けている。また、ホイットニー家も1946年にJ.H. 再考察を試みて要約を記したものである。 Whitney & Companyへと会社組織に改組されて組 織的な運用が始まった。同じく1946年、現在では世 界初のベンチャーキャピタルとされるAmerican 未公開企業投資の 2 未公開企業投資の組織化 Research and Development Corporation(ARD) 投資組織の 2.1 投資組織の創始 が発足した。 「ベンチャーキャピタル」という言葉を自社の事 業に初めて使ったのは1946年のJ.H. Whitneyの幹 ARDの 2.2 ARDの発足 部であったBenno Schmidtとされているが 、それ 1946年6月に発足したARDは、独立した私的な投 に遡る1920年には「ベンチャーキャピタル」という 資組織というよりも、ニューイングランド地域の過 言葉が用いられたように(1)、第二次大戦以前から新 去十数年間の新産業振興運動が結晶化されたもので 興の未公開企業に投資する業態は存在した。1920年 あり、実質的には当地の財界や学界が出資した「連 代から1930年代にはロックフェラー家やホイット 合投資会社」の特徴を持っていた。 ニー家等の富豪の手によって個人資産運用の一手段 リスクは高いが将来に大きな経済価値と社会貢献 1
  • 2. 2011 年 11 月 をもたらす可能性のある新興企業に対する資金供給 第二に、組織運営の硬直性である。先のように上 の必要性は、既に広く認識されていた。ボストンで 場会社としてのSECによる諸規則が適応されてい は、1930年代から新興企業への投資育成に関して、 た投資決定や投資先評価のルールと開示が厳格に要 財界や学界のリーダー達が会合や提言を重ね、一部 求された。また、ARDはDoriotが最終決定者であり、 では投資組織も準備が進んでいた(2)。しかし1939年 かつ精神的な唯一の支柱でもあったために、従業員 に第二次大戦が勃発したために組織設立の構想は中 は彼の方針に従うしかないという上意下達の体制で 断され、大戦後に主導者の一人であったハーバード あった。こうした社内構造のために、ARDは機動的 大学ビジネススクールのGeorge Doriot教授(1899 で柔軟な投資運営が行いにくく、従業員の間に鬱蒼 ~1987年)が米軍勤務から復帰し、環境が整った とした不満が長年にわたり生じていたとされる(5)。 1946年に設立されるに至った。 2.4 人材流出 2.4 公募株式会社型組織 株式会社型組織の 2.3 公募株式会社型組織の制約 特にARDで起きた個人報酬問題は、ベンチャーキ ARDは未公開企業投資事業を行う株式型投資信 ャピタル組織が株式会社型から後述するLPS型に 託であり、公募増資によって資金調達がなされてい 移行する重要な要因の一つとなった。スタッフの要 る。出資した株主は、ニューイングランド地域の金 求だけであれば社内問題に留まったであろうが、 融機関や事業会社、個人投資家である。創業後の10 ARDの内部問題は人材のスピンアウトの形で顕在 余年は苦闘の時期であった。第1回増資は500万ドル 化したのである。 の調達目標に対し1947年2月までに358万ドルを調 1951年にはARD創業以来Doriotの右腕と目され 達した。1949年の増資時には発行株式の57%が売れ ていたJoseph PowellがARDを去り、その後1960年 残り、1954年には1件も投資を実行しないほどであ にはSBICのBoston Capital Corporationの社長に った(3)。しかし、1957年にDEC(Digital Equipment 就任してARDの競争相手となった。また、1965年 Company)のスタートアップに出資した7万ドルの にはARDのスタッフであったWilliam Elfersと 資金は、同社の急成長とIPO(1966年)により3億 James Morganが退社してGreylock Partnersを立 ドルを超える価値(出資額の約5千倍)をもたらし、 ち上げ、西海岸で考案されたLPS(リミテッド・パ ARDが26年間で得た利益の半分はDECの売却益と ートナーシップ)による投資手法を導入した。1970 される程の成果をもたらした。ARDはDECの大成 年以降もARD出身の人材がボストン近郊でCharles 功によって新興企業への投資が利益を生む事業とし River Ventures、 AssociatesのLPS型のベンチャ TA て成立することを世に示した。 ーキャピタルを開始した。 その一方で、ARDには二つの内部問題が生じ、そ ARDは内部問題が解決しないまま、人材流出とい れらが人材流出と競争力低下につながっていった。 う形で組織の競争力が低下していった。1972年、 第一の内部問題はスタッフの個人報酬である。ARD ARDはTextron社に1株813ドル(設立当初は1株25 は公募株式で資金調達を行うクローズド・エンド投 ドル)と設立当時の約32倍の株価で売却された。長 資信託であったために、1940年投資会社法に基づく 年の低迷があったにせよ、ARDは株主に応分の利益 (証券取引委員会) SEC の諸規則が適用された。SEC をもたらした。しかしARDの人材は既にスピンアウ はARDに利益相反ルールに基づき、ARDの従業員 トし、LPSを活用した私募ファンド型の投資組織を に対し同社と投資先会社のいずれについても株式と 創設した。ARDは公募増資により投資資金を募った ストックオプションを取得することを禁じた(4)。こ 株式会社の形態を維持したために、存続する力は残 の規制はARDの従業員の不満を募らせた。担当する っていなかったと考えることができよう。 投資先がIPOを果たして創業者が1000万ドルを超 える富を得ても、ARDの投資担当者は2000ドルの SBICの導入と 2.5 SBICの導入と問題 ボーナスを支給されただけであり 、 その担当者は結 このように、ARDは1950年代から株式会社型の 果としてARDを退社した。従業員からみれば、ARD 組織運営に帰する問題を抱えていたが、当時の米国 の給与賞与は他より低い上に増額は投資先の株式売 はARDと同形態の未公開投資組織が拡がっていた。 却次第であり、将来に多額の利益を受け取る可能性 連 邦 政 府 が 1958 年 に SBIC ( Small Business がある投資先のエクイティは大きな魅力であった。 Investment Companies)による支援制度を創設し 2
  • 3. 2011 年 11 月 たためである。 が使われており、出資者にも支障なく受け入れられ 当時のSBICの仕組みは、一定の資本額以上で出 たという(7)。DGAのファンドは、Draper、Gaither、 資された投資会社に対して払込資本の2倍までの15 Andersonの3名がジェネラルパートナーに就任し、 年の長期ローンまたは20年の劣後債を連邦政府が ロックフェラー家等の個人投資家と投資銀行 引き受ける制度であった。このスキームは未公開投 Lazard Frèresがリミテッドパートナーとして出資 資事業への資金調達を容易にする効果を発揮し、 し、総額600万ドルの資金規模でスタートした。こ 1961年末には590社のSBICが営業を開始していた。 のGDAはLPSファンドの大口出資者であったロッ 当時のSBICの大半は株式会社型の投資組織であ クフェラー家が資金を引き上げたために1967年に った。SBICは1960年代後半から業績不振に陥り、 わずか8年間で解散したが、先のARDと同じように、 不祥事も多発した。一説によると9割のSBICが規則 スタッフであったWilliam Draper III(1965年に 違反を起こし、数十社が犯罪行為を起こしたという 、 Sutter Hill Venturesを創業) Donald Lucas(エン (6)。SBICは一定の要件を満たせば認定され、投資判 ジェル投資家としてNational Semiconductorや 断や経験等の実務上の能力要件は問われず、設立後 Oracleに投資)等がその後もベンチャー投資活動を の投資運営と財務報告について一律に詳細なルール 続け業界の発展に名を残している。 の遵守を求めるという 「民主的」 な仕組みであった。 Arthur Rock(1926年~)は東海岸のニューヨー このため、経験能力の乏しい会社も認定を受ければ ク州で育ちハーバード大学でDoriot教授の講義を受 連邦政府より融資が受けられた。SBICの制度創設 けた。ビジネススクール卒業後はニューヨークの証 によりベンチャー投資に乗り出そうとした民間企業 券会社Hayden Stoneに勤務し、1957年にFairchild や商業銀行が多かったことも、実力が伴わない投資 Semiconductorの創業時の資金調達を手掛けた。 会社を粗製濫造させる問題が生じた。さらに、SBIC Rockはこの仕事を機にサンフランシスコへ移り、 各社は景気後退によって投資先の不良債権を多数抱 Thomas Davisと共に投資事務所Davis & Rock を え、連邦政府向け長期債務の返済に支障が生じた。 創設し、1961年にDGAと同様にLPSによるベンチ このように、当時のSBICによる公的な支援は全 ャーキャピタル ファンドを組成した。 ・ このDavis & 米に未公開投資事業を拡げる効果を発揮したものの、 Rock の フ ァ ン ド は Scientific Data Systems や SBIC各社の組織運営と財務構造(資産負債のマッ Teledyneの投資によって大成功を収め、投資額300 の側面において大きな問題点を持っていた。 チング) 万ドルに対し1億ドルの分配を行っている 。 LPSによる投資運営モデル による投資運営 3.2 LPSによる投資運営モデル 独立プライベート投資組織の プライベート投資組織 3 独立プライベート投資組織の形成 LPSの導入は、ベンチャーキャピタルが組織運営 3.1 西海岸における投資組織の誕生 西海岸における投資組織の における投資組織 を行う上で以下のメリットがあった。第一に、LPS 新興企業が電子産業を中心にサンフランシスコ湾 を活用した組織では関連法規(各州の会社法)以外 近郊で徐々に形成されていた1950年代から60年代 の公的規制がほとんど存在しないために、運営上の には、西海岸の新興企業投資はDraperとRockとい 自由度が確保できる。第二に、事業を運営するジェ う二人の東海岸出身者を中心に形成されていった。 ネラルパートナー個人に対する経常報酬(マネジメ ニューヨークの投資銀行幹部や陸軍省次官を歴任 ントフィー) と投資の成功失敗に応じた成果分配 (キ したWilliam Henry Draper Jr. (1894~1974年)は、 ャリード・インタレスト)を、LPSファンドを設立 1959 年 に サ ン フ ラ ン シ ス コ の 法 律 家 Rowan する段階で確定することが可能であり、ベンチャー Gaither 等と共に投資事務所Draper, Gaither and キャピタルの運営において個人報酬問題は発生しに Anderson(DGA)を西海岸のパロアルトに創設し、ロ くい。第三に、LPSファンドはパススルー課税であ ックフェラー家の個人出資等によってベンチャーキ り、株式会社型のベンチャーキャピタルへの出資で ャピタル初のリミテッド パートナーシップ ・ (LPS) は二重課税であった出資者は、LPSファンドの利益 を使ったファンドを組成した。彼らが導入したLPS に対して課税されない利点を持っている。以上の ファンドは現地パロアルトのCooley法律事務所が LPSの特徴は、ARDの内部問題を解決するに相応し 考案したスキームであったが、当時は既にテキサス く、同時にSBICで生じたような諸規制や資産負債 州の油田開発事業や不動産開発等でLPSの仕組み のミスマッチの問題を回避できる仕組みでもあった。 3
  • 4. 2011 年 11 月 Davis & RockのLPSファンドの成功は投資家達 [注] に広がった。1960年代後半以降、スピンアウト組や (1) Rao and Scaruffi (2011), p.108。 新規参入してきたグループは、ARDや大半のSBIC (2) Hsu and Kenney (2005), pp.584-585に詳しい記述がある。 のように株式会社が投資組織の運営者となるのでは (3) Rao and Scaruffi (2011), p.110。 なく、LPSファンドを組成し個人集団がファンド運 (4) Hsu and Kenney (2005),p.608。 営者たるジェネラルパートナーとなって投資事業を (5) Ante (2008), chapter 9, pp.147-174に詳しい記述がある。 始めた。 (6) Bartzokas and Mani (2004), p.54。 その後、全米のベンチャーキャピタルが一挙に株 (7) DGAに勤務していたWilliam Draper IIIの口述録による。 式会社型からLPS型に組織改編された訳ではなか Hughes(2008), p.20。 ったが、新規参入した組織がLPSを導入し、現在は (8) 例えばカリフォルニア大学では以下のサイトで公表している。 米国のベンチャーキャピタルの大半がLPSによっ http://bancroft.berkeley.edu/ROHO/projects/vc/ て運営され、株式会社組織を採用するベンチャーキ (9) Ante (2008), p.213。 ャピタルはSBICなどの一部に留まっている。 なお、この運営組織の発展は新スキームの導入だ [参考文献] けで実現できたものではない。不満を持った人間が 1.Ante, S.E. (2008) Creative Capital: George Doriot and the 既存組織からスピンアウトして新組織を始めるとい Birth of Venture Capital, Harvard Business Press う米国における積極的な人材流動性、換言すれば自 2.Bartzokas, A. and S. Mani (2004), Financial Systems, 由な労働市場を通じた解決が、新しいLPS型の組織 Corporate Investment in Innovation, and Venture Capital, 運営を導入し実現させていったと考えるべきだろう。 Edward Elgar Pub 3.Gompers, P. (1994) “The Rise and Fall of Venture Capital”, Business and Economic History, Vo.23, pp. 1-24 4. 結語 4.Gupta, U.(2000) Done Deals: Venture Capitalists Tell Their 21世紀に入るとNVCA(全米ベンチャーキャピタ Stories, Harvard Business Press ル協会)やカリフォルニア大学によってベンチャー 5.秦信行(2001) 「シリコンバレーとベンチャーキャピタル」日 キャピタリストの個人史を記録するプロジェクトが 本証券アナリスト協会『証券アナリストジャーナル』第39号 実施され(8)、これらの作業によって新たな史実が明 6.Hsu, D.H. and M. Kenney (2005)“Organizing Venture らかになっている。本考察はそれらの関連文献を収 Capital: The Rise and Demise of American Research & 集した上で、米国ベンチャーキャピタルについて組 Development Corporation, 1946-1973”, Industrial and 織進化における特徴の考察を加えた。 Corporate Change, vol.14, pp.579-616 しかしながら、本考察は日本のベンチャーキャピ 7.Hughes S. (2008) “WILLIAM H. DRAPER, III : Early Bay タルを含めた同時代の国際比較の側面には全く触れ Area Venture Capitalists”, Regional Oral History Office, ておらず、今後の研究課題として残されている。く University of California, Berkeley しくもARDで人材が流出し会社売却の構想が具体 8.Lebret, H. (2007) Start-Up: What We May Still Learn From 的に進んでいた(9)1971年の秋、京都経済同友会は米 Silicon Valley, Create Space 国ハイテク産業の視察を目的にボストンを訪問し 9.小野正人(1997) 『ベンチャー 起業と投資の実際知識』東洋 ARDを視察している。京都経済同友会はARDにな 経済新報社 らって新興企業投資の組織運営を構想した結果、 10.Rao, A. and P. Scaruffi (2011) A History of Silicon Valley: The 1972年に日本初のベンチャーキャピタルとなる京 Greatest Creation of Wealth in the History of the Planet, 都エンタープライズ・ディベロップメント(KED) Omniware を発足させた。KEDと同じ1972年、現在は世界的 11.Reiner, M. (1991) “Innovation and the Creation of Venture に超一流の評価を得ているKleiner Parkins 現在の ( Capital Organizations”, Business and Economic History, KPCB)とSequoia Capitalのベンチャーキャピタル Vol. 20, pp.200-209 がスタートした。両者は最初からLPSを用いて事業 12.Riekert, P. (2004), Venture governance: venture を始めたように、既に当時の米国のベンチャーキャ capital-backed startups in Silicon Valley and Tokyo, DUV ピタルはLPSの時代を迎えていたのである。 (本稿は、2011 JASVE 第 14 回全国大会の研究報告である) 4