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05
- 2. 人権擁護法案の妙
主な流れ
人権擁護法案・・・包括的な人権擁護を目的とする法案
・ 2002 年に国会提出
・ 2003 年衆議院解散と共に廃案
その後も法務省、自民党内で検討
・ 2005 年与党懇話会にて再浮上
同年まとめサイトが立ち上がる。
人権擁護法案反対 VIP 総司令部まとめサイト
( http://zinkenvip.fc2web.com/)
・ 2007 年安部内閣解散後、賛成派が法案再提出を画
策
ネット上での戦い(?)が今始まる!
- 3. 人権擁護法案の問題とされる部分
人権侵害の定義が曖昧
→でっちあげによる告発・非難が可能
結果、言論の封殺が起こる可能性がある?
人権委員会の権力が強すぎ
→裁判所の令状なしで強制召還可能
書類の提出や立ち入りもできる。弾圧?
外国籍人も委員になれてしまう
→特定団体の政治・国家権力への介入を許す
事 に?
- 4. ネット上での騒動の発端
2005 年~
巨大掲示板の一部をはじめ、所々で議論がか
わされる。
2007 年 9 月ごろ~
掲示板まとめブログ
youtube 、ニコニコ動画などにて法案が紹介
され、関連議論が過熱。署名運動も広く認知。
人権擁護法案ポータル wiki ( http://wiki.livedoor.jp/pinhu365/l/)
2008 年 3 月ごろ~
ピークを迎え徐々に沈静化
結果としては法案は提出されなかった。
- 6. なぜ?
言論弾圧への反対
漫画・アニメ・ゲームなどのサブカルチャー
規制に対する恐れ。同年のスクイズ問題?
朝鮮総連がらみ。
仮想敵に対する正義感
マスコミがほとんど報道しない事に対する憤
り、使命感。ペッパーランチから続く不信感
。
社会的一体感の受容
社会への参加要求を満たす行為。
- 8. そもそも有効だったのか?
一連の騒動がなくても法案は通らなかった?
2005 年の時点でも反対派のコミュニティや識者によ
る反対の合意がとられており、抵抗勢力(野党)の
存在も確たるものだった。
そも、提出時の国会審議で問題点は識者だけでなく
議員にも認識はされていた。
踊らされていたのは Web 住人だったのか?
ネット上での一般人による合意が図られたのは一部
のアクティブな者の勇み足?あるいは「保険」に過
ぎなかった?
- 9. ネットによる喚起の問題点
騒動に参加しているのか、参加させられてい
るのか
本人は運動をしているつもりでも、実際には誰かの
口車に乗って行動しているだけかもしれない。顔の
見えないネットでは思考が一方向に転がりがちでは
ないのか。
メタ・リテラシー?
情報そのものを見極めるリテラシー能力だけでなく
、その情報を自分は今、何故、誰の意図で見ている
のかなど、もう一層上からのリテラシー能力が必要
なのではないか?
- 10. それでも希望はある?
「認識」という希望
又聞きであっても、知り、伝える事によって世論が
成熟していくと言う事もありうる?
まだまだ続く問題
・自民党の一部の派閥は未だに諦めておらず、機を
得れば再び提出すると洩らす。
・児童ポルノ規制法改正案でもまた似たような騒動
が。
「人権」とは結局何なのか?
そもそも反対派が言うような問題は本当におこるの
か?
正義の鉄槌とやらは果たして誰が振り下ろすのか?