4. 参加者の数が有限なので,このアルゴリズムは必ず有限回のステップで終了する.また,
上の手順では,各参加者がプロポーズやリジェクトを自らの意思で行うかのように描写し
ているが,これは具体的な作業をイメージしやすくするための比喩にすぎない.実際には,
運営者やコンピュータ・プログラムが参加者の代わりに (仮想的に) こういった手続きを行
えばよい,という点に注意して欲しい.以上を踏まえた上で,定理 1 を証明しよう.
なぜ GS アルゴリズムが安定マッチングを見つけてくれるのかは,次のようにして証明
することができる.まず,GS アルゴリズムの結果が個人合理的であることを確認するが,
これはほとんど自明だろう.アルゴリズムのどのステップでも,各男性がプロポーズする
のは必ず受け入れ可能な女性なので,最終的に男性が受け入れ不可能な女性とマッチする
ことはない.同様に,各女性がキープするのは必ず受け入れ可能な男性なので,最終的に
受け入れ不可能な男性とマッチすることはない.
ブロッキングペアが存在しないことは,次のように示すことができる.たとえばある男
性 m が,GS アルゴリズムによって指定された女性 w よりも別の女性 w を好むとしよう.
もしもこのような状況が発生しているとすれば,m は GS アルゴリズムのどこかのステッ
プで w からリジェクトされていなければならない.ということは,m は w にとって受け
入れ不可能であるか,そのステップですでに m よりも望ましい男性と w は仮マッチして
いるはずである.前者の場合に m と w がブロッキングペアにならないのは明らかである.
後者の場合にはアルゴリズムの性質から,各女性がキープする男性はステップを重ねるご
とに改善していく一方であるから,最終的に実現したマッチングでもやはり w は m より
も望ましい男性とマッチしていなければならない.この場合にも m と w がブロッキング
ペアになることはない.以上より,GS アルゴリズムで見つかるマッチングが安定的であ
ることが示された.
定理 1 により,安定マッチングが常に存在することが明らかになったが,実は安定マッ
チングは一つであるとは限らないことが知られている.GS アリゴリズムは,複数存在す
るかもしれない安定マッチングの中から特定のマッチングを見つけ出しているのである.
この GS アリゴリズムの選び方は,次のような非常に興味深い性質を持っている7.
定理 2 男性側提案の GS アルゴリズムが発見するマッチングでは,各男性は複数存在しう
る安定マッチングの下でマッチできる女性の中から,最も望ましい相手とマッチしている.
定理 2 は,GS アルゴリズムが選ぶマッチングは,安定マッチングの中ですべての男性
にとって最も望ましいマッチング (これを男性最適 (Men Optimal) な安定マッチングと呼
ぶ) になっている,ということを意味する.
以上が,ノーベル賞受賞の決め手となったシャプレー教授 (およびゲール教授) の主要功
績である.上の例の男女を,労働者と企業,学生と研究室,研修医と病院,. . . と置き換
えることで,様々な現実のマッチング問題に GS アルゴリズムを応用することができる8.
日本でも,2004 年度から,臨床研修医を病院へ配属するための仕組みとして GS アルゴリ
ズムが実際に使われている.紙幅の都合で触れることができないが,もう一人の受賞者で
あるロス教授は,学術研究だけでなく,アルゴリズムの社会実装にも大きく貢献している.
7
証明は Roth and Sotomayor (1990),定理 2.12 などを参照.
8
GS アルゴリズムは自然な形で多対一マッチングの状況に拡張することができる.
4
5. 3 マッチングの理論的発展
マッチング理論は,Gale and Shapley (1962) が出版されてからこの半世紀の間に,様々
な方向で発展してきた.特にこの十年ほどで,その分析対象が一気に広がっているのが
特徴的である.代表的な研究としては,マッチングに付随する金銭の授受や待遇面など
の契約をモデルに明示的に取り込んだ Hatfield and Milgrom (2005) や,多対多の状況に
おける安定マッチングの性質を明らかにした Echenique and Oviedo (2006),二種類以上
のグループ間におけるマッチング問題の一つであるサプライチェーンの分析を可能にした
Ostrovsky (2008) などが挙げられる9.こうした近年の急速な発展を支える基礎となった
のが,安達裕之氏によって開発された革新的な数学モデル (Adachi, 2000) である.以下で
は,この日本人経済学者による重要な貢献を簡単に紹介しよう.
Adachi (2000)は,マッチングそのものを考えるのではなく,事前マッチング(Pre-matching)
という新たな対象を考案することで,安定マッチングが非常に整った数学的な構造を持っ
ていることを明らかにした.事前マッチングとは,各プレーヤーがどの相手とマッチして
いる “つもり” であるかを指定した関数で,必ずしもその期待が正しいことを要求しない.
たとえば,男性 1 が女性 1 とマッチするつもりだったときに,女性 1 は (男性 1 ではなく)
男性 2 とマッチするつもりであっても良い.マッチングが両思いだけであるのに対して,
事前マッチングは片思いを許す,というわけである.フォーマルには,事前マッチングは,
各参加者がどの相手とマッチするつもりかを (一方的に) 指定した関数 v として表される.
定義 3 事前マッチングは,以下の条件 (i) を満たす関数 vM : M → M ∪ W と (ii) を満た
す関数 vW : W → M ∪ W の組 v ≡ (vM , vW ) として定義される:
(i) vM (m) = m =⇒ vM (m) ∈ W, ∀m ∈ M,
(ii) vW (w) = w =⇒ vW (w) ∈ M, ∀w ∈ W.
もし全てのプレーヤーの期待が正しければ,そのような事前マッチング v はきちんと
マッチングになる.言い換えると,次のように µ を定義した時に,µ はマッチングとなる:
µ(m) := vM (m) ∀m ∈ M, µ(w) := vW (w) ∀w ∈ W. (1)
逆に,任意のマッチング µ は,次のようにして事前マッチング v に分解することができる:
vM (m) := µ(m) ∀m ∈ M, vW (w) = µ(w) ∀w ∈ W. (2)
この性質を使って,安定マッチングを事前マッチングによって特徴付けることができる.
定理 3 もしも µ が安定マッチングならば,(2) によって定義される事前マッチング v は
以下の最大化問題の解となる.また,もしも事前マッチング v が以下の最大化問題の解で
あるならば,(1) によって定義されるマッチング µ は安定マッチングになる.
vM (m) = max
m
[{w ∈ W | m w vW (w)} ∪ {m}], ∀m ∈ M, (3)
vW (w) = max
w
[{m ∈ M | w m vM (m)} ∪ {w}], ∀w ∈ W. (4)
9
組み合わせ最適化や離散凸解析といった,最適化に関連する手法を用いたマッチング研究も発展してきて
いる.前者は Fleiner (2003),後者は Fujishige and Tamura (2007),田村 (2009) などを参照.
5
6. 最大化問題 (3) は,任意の男性 m が「自分以下の男性を片思いしている女性」の中から
ベストの相手を選ぶこと,(4) は任意の女性 w が「自分以下の女性を片思いしている男性」
の中からベストの相手を選ぶこと,を意味している.直感的には,(異性たちの片思いに
対して) 各人が自分の手の届くベストの相手を選び合っている状況,と解釈できるだろう.
ここで,(3) と (4) は,与えられた事前マッチングから新たな事前マッチングを生み出す
関数とも考えることができる.実は,安達はこの関数の持つ優れた性質に注目して驚きの
結果を導いたのであるが,その導出に必要な概念をまずは定義しておこう.
事前マッチング vM の集合を VM ,vW の集合を VW とし,すべての可能な事前マッチング
の集合をV := VM ×VW で表す.次に,(3)の右辺によって定義される関数をT1 : VW → VM ,
(4) の右辺によって定義される関数を T2 : VM → VW ,それらの組を T = (T1, T2) : V → V
と置く.最後に,事前マッチングの集合上に,参加者の選好から自然に定義される以下の
(半) 順序関係を導入する.
VM 上の半順序 ≥M :vM ≥M vM ⇐⇒ vM (m) m vM (m), ∀m ∈ M.
VW 上の半順序 ≥W :vW ≥W vW ⇐⇒ vW (w) w vW (w), ∀w ∈ W.
V 上の半順序 ≥:v ≥ v ⇐⇒ vM ≥M vM かつ vW ≤W vW .
上の ≥ の定義で,男性陣と女性陣で順序の付け方が正反対になっている点に注意して欲
しい.この半順序 ≥ のもとでは,すべての男性の片思いの相手が改善する一方ですべての
女性の片思いの相手が悪化するときに,事前マッチングは “増加する” ことになる.ここ
で, V, ≥ によって定義される束 (Lattice) および関数 T は,以下の性質を満たす.
定理 4 V, ≥ は完備 (Complete) であり,T : V → V は広義単調増加関数である.
V, ≥ が有限束 (Finite Lattice) であることはすぐに確認できるだろう.有限束は完備
であることから,定理 4 の前半部分が示される.後半部分については (3) と (4),および
≥ の定義からほぼ自明なので省略する (ぜひ各自で確認して頂きたい).
ところで,完備束からそれ自身への単調増加関数の不動点の集合は非空で,(≥ のもと
で) 完備束を形成することがタルスキーの不動点定理 (Tarski, 1955) によって知られてい
る.また,定理 3 から,関数 T の不動点の集合は安定マッチングをもたらす事前マッチン
グの集合 (後者を V ∗ と置く) と一致することが分かる.これらの結果を用いると,以下の
主定理がただちに導かれる.
定理 5 V ∗ は非空で, V ∗, ≥ は完備束を形成する.
定理 5 の前半は結婚問題に必ず安定マッチングが存在することを意味し,後半によって
男性 (女性) 最適な安定マッチングの存在が導かれる10.このようにして,安達は安定マッ
チングの存在とその重要な性質を Gale and Shapley (1962) とは異なる方法で示したので
ある.タルスキーの不動点定理は数々の構造的な性質を導くことが知られており,Adachi
(2000) の知見によって,半世紀に渡るマッチング研究の中で徐々に明らかにされてきた安
定マッチングに関する結果の多くが,統一的な方法により得られることになったのだ.上
述した Hatfield and Milgrom (2005),Echenique and Oviedo (2006),Ostrovsky (2008)
らの分析手法は,いずれも Adachi (2000) の自然な拡張となっている.
10
V ∗
の中で最大の事前マッチングが男性最適,最小の事前マッチングが女性最適になる.
6
7. 4 おわりに
以上,マッチング理論を切り開いたゲールとシャプレーの業績,および近年の理論的発
展の基礎となる安達の貢献について駆け足で解説を試みた.マッチング研究は既に半世紀
の歴史を持つが,現実への実践 (マーケットデザイン) とそれに触発された理論研究の進展
が相乗効果をもたらし,1990 年代後半から特に急速な発展を見せている.また,学際色が
強いのも大きな特徴で,理論経済学,計算機科学,オペレーションズ・リサーチといった
隣接する分野の研究者たちが凌ぎを削り,日進月歩で新たな発見を生み出している.本稿
を手に取られた読者の方々,特に数理科学系の若手研究者の皆さんが,マッチング理論の
面白さや広がりを感じ取り,積極的にこの分野に参入されることを心より願っている.
参考文献
[1] Adachi, H. (2000), “On a Characterization of Stable Matchings,” Economics Letters,
68: 43-49.
[2] Echenique, F. and Oviedo, J. (2006), “A Theory of Stability in Many-to-Many
Matching Markets,” Theoretical Economics, 1: 233-273.
[3] Fleiner, T. (2003), “A Fixed-Point Approach to Stable Matchings and Some Appli-
cations,” Mathematics of Operations Research, 28: 103-126.
[4] Fujishige, S. and Tamura, A. (2007), “A Two-Sided Discrete-Concave Market with
Possibly Bounded Side Payments: An Approach by Discrete Convex Analysis,”
Mathematics of Operations Research, 32: 136-155.
[5] Gale, D. and Shapley, L. (1962), “College Admissions and the Stability of Marriage,”
American Mathematical Monthly, 69: 9-15.
[6] Hatfield, J. and Milgrom, P. (2005), “Matching with Contracts,” American Eco-
nomic Review, 95: 913-935.
[7] Ostrovsky, M. (2008), “Stability in Supply Chain Networks,” American Economic
Review, 98: 897-923.
[8] Roth, A. and Sotomayor, M. (1990), Two-Sided Matching: A Study in Game-
Theoretic Modeling and Analysis, Econometric Society Monographs No.18, Cam-
bridge University Press.
[9] Tarski, A. (1955), “A Lattice-Theoretical Fixpoint Theorem and its Applications,”
Pacific Journal of Mathematics, 5: 285-310.
[10] 小島武仁・安田洋祐 (2009)「マッチング・マーケットデザイン」『経済セミナー』(4・
5 月号)
[11] 田村明久 (2009)『離散凸解析とゲーム理論』朝倉書店
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