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2017/5/21
ウ ィ キ ペ デ
ィ ア タ ウ ン
ウィキペディアタウン丸亀城下町 確認表
○当日詳細進行予定
9:20~受付開始
第一部 ウィキペディアタウンとは何か?(9:30~12:30)
9:30~ 9:35 主催挨拶
9:35~ 9:50 第一部スケジュール確認趣旨説明
9:50~10...
寿覚院
画像をアップロード画像をアップロード
所在地 香川県丸亀市南条町16番地
位置 北緯34度17分19.64秒
東経133度47分34.08秒 (https://tools.wmflabs.org/geohack/geohack.php?...
丸亀市猪熊弦一郎現代美術館
Marugame Genichiro-Inokuma
Museum of Contemporary Art
施設情報
愛称 MIMOCA(ミモカ)
専門分野 現代美術
建物設計 谷口吉生
開館 1991年
所在地 〒...
◾ 竣工― 1991年
◾ 敷地面積― 5,975m2
◾ 建築面積― 3,604m2
◾ 延床面積― 8,000m2
◾ 構造― SRC造
◾ 規模― 地上3階、地下1階
◾ 所在地― 〒763-0022 香川県丸亀市浜町80番地1
◾ 受賞...
柳窪
—  町名  —
古民家を囲む屋敷林と生垣(柳窪4丁目)
柳窪の位置
座標: 北緯35度44分42.9秒 東経139度29分44.2秒
国 日本
都道府県 東京都
市 東久留米市
面積(2013年1月1日[1]
)
 - 計 0.89km...
顧想園_村野家住宅(柳窪
4丁目)
天神社前の黒目川と湧水
_東京名湧水57選(柳窪四
丁目)
武州世直し一揆の床柱の
傷_顧想園(柳窪4丁目)
江戸時代、大都市となった江戸においては大火が頻繁に起こった。そのため享保期(1716年 - 173...
柳窪付近の空中写真。画像中央付近の緑
地帯が「柳窪緑地保全地域」。2008年撮影。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写
真) (http://w3land.mlit.go.jp/WebGIS/)を基
に作成。
柳久保小麦(右):従来種
の小...
地蔵菩薩、石橋供養塔、
庚申塔(柳窪天神下)
◾ 明治時代村地引絵図(市有形文化財第11号)東久留米市教育委員会所蔵 明治時代初期
1873年(明治6年)の地租改正令により作成されたもので、地租改正図ともいわれ、徴税の基本となる村絵図である。当...
47. ^ “柳窪テニスコート
(http://www.city.higashikurume.lg.jp/shisetsu/sports/tennis/1003072.html)”. 東久
留米市教育部生涯学習課スポーツ振興係 (2016年1月...
ウィキペディアタウン丸亀城下町#1アンケート(2017.5.21)
本日はご参加いただいてありがとうございます。今後、また継続して丸亀や香川県内で企画を実現
していくために、よろしかったら感想御意見をぜひお聞かせください。
(該当箇所の数字を○...
2017ウィキペディアタウン丸亀城下町配布資料全資料統合版
2017ウィキペディアタウン丸亀城下町配布資料全資料統合版
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2017ウィキペディアタウン丸亀城下町配布資料全資料統合版

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2017年5月21日に丸亀市城乾コミニュティ―センターで行われた「ウィキペディアタウン丸亀城下町」の進行役の中俣保志(香川短期大学教授)が用意した資料です。当日は、講師を務めたウィイペディアンの海獺さん、Miya.Mさんの資料も個別に配布されました。

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2017ウィキペディアタウン丸亀城下町配布資料全資料統合版

  1. 1. 2017/5/21 ウ ィ キ ペ デ ィ ア タ ウ ン
  2. 2. ウィキペディアタウン丸亀城下町 確認表 ○当日詳細進行予定 9:20~受付開始 第一部 ウィキペディアタウンとは何か?(9:30~12:30) 9:30~ 9:35 主催挨拶 9:35~ 9:50 第一部スケジュール確認趣旨説明 9:50~10:40 講演「ウィキペディア(タウン)とは何か」(海獺さん) 10:50~11:10 古地図アプリの活用による歴史とのリンク(高橋さん) 11:10~12:20 会場周辺の記事関連まち歩き (順路:玄要寺及び京極家墓→寿覚院→猪熊美術館→商店街→市民広場) ※第一部解散前に第二部の会場集合時間(13:20)の周知 (昼食・休憩) 第二部 記事編集ワークショップ(13:30~16:30) 13:20 会場集合 13:30~13:45 第二部のスケジュール確認とワークショップ趣旨説明と班分け 編集記事の発表 13:45~14:05 「ウィキペディアの書き方」(Miya.m さん) 14:05~16:25 編集ワークショップを 5 名~6 名の3班で構成 ①準備・方針 編集:②資料調査③構成・素材④執筆・校閲 16:25~16:45 ワークショプ成果発表(中俣進行・各ウィキペディアン) 講評とまとめ(中俣がウイキペディアンに講評してもらう) 16:45~16:58 古地図データと作成ウィキペディア記事(高橋さん) 16:58~17:00 閉会挨拶 17:30~20:00 別会場(香川で一番インスタ映えする cafe)に移動し茶話会的な懇親会
  3. 3. 寿覚院 画像をアップロード画像をアップロード 所在地 香川県丸亀市南条町16番地 位置 北緯34度17分19.64秒 東経133度47分34.08秒 (https://tools.wmflabs.org/geohack/geohack.php? language=ja&pagename=%E5%AF%BF%E8%A6%9A%E9%99% A2&params=34_17_19.64_N_133_47_34.08_E_type:landmark_region:JP) 山号 光明山 宗派 浄土宗 本尊 阿弥陀如来 創建年 1633年(寛永18年) 開山 本誉南郭 札所等 法然上人讃岐25霊場19番 地図 寿覚院 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 寿覚院(じゅかくいん)は、香川県丸亀市にあ る浄土宗の寺院。山号は光明山。本尊は阿弥 陀如来。法然上人讃岐二十五箇所霊場第十 九番札所。 目次 ◾ 1 由緒 ◾ 2 文化財 ◾ 3 伽藍 ◾ 4 外部リンク 由緒 1633年(寛永18年)丸亀藩主山崎家治が本誉 南郭を開山に招き山崎家の菩提寺として建立 したのに始まる。 文化財 境内の観音堂にある十一面観音菩薩像は空 海の作とされる。 伽藍 この節の加筆 (https://ja.wikipedia.org/w/index.php? title=%E5%AF%BF%E8%A6%9A% E9%99%A2&action=edit)が望まれて います。 外部リンク ◾ 寿覚院(ぶっだわーるど) (http://www.kotobuki-p.co.jp/kensaku/data/12si48.htm) 「 oldid=64160144&院寿覚https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title= 」から取得 カテゴリ: 丸亀市の画像提供依頼 浄土宗の寺院 香川県の寺 丸亀市の建築物 丸亀市の歴史 ◾ 最終更新 2017年5月19日 (金) 02:46 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。 ◾ テキストはクリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンスの下で利用可能です。追加の条件が適用される場合 があります。詳細は利用規約を参照してください。 99%A2&params=34_17_19.64_N_133_47_34.08_E_type:landmark_region:JP) Page 1 of 1寿覚院 - Wikipedia 2017/05/19https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BF%E8%A6%9A%E9%99%A2
  4. 4. 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館 Marugame Genichiro-Inokuma Museum of Contemporary Art 施設情報 愛称 MIMOCA(ミモカ) 専門分野 現代美術 建物設計 谷口吉生 開館 1991年 所在地 〒763-0022 香川県丸亀市浜町80番地1 位置 北緯34度17分28.41秒 東経133度47分31.57秒 アクセス JR予讃線丸亀駅徒歩2分 公式サイト http://www.mimoca.org/ プロジェクト:GLAM 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(まるがめしいのくまげんいちろうげん だいびじゅつかん)は香川県丸亀市にある美術館。略称はMIMOCA (ミモカ)。 目次 ◾ 1 概要 ◾ 2 施設 ◾ 3 建築概要 ◾ 4 交通アクセス ◾ 5 周辺情報 ◾ 6 関連項目 ◾ 7 外部リンク 概要 丸亀市出身の洋画家猪熊弦一郎の画業顕彰と地域の美術振興を目的 に1991年開館し、現代美術の企画展などを行っている。建築設計は正 統派モダニズム建築家の谷口吉生。公共建築百選に選ばれた秀作で ある。延床面積8000平方メートルの大型施設であり、JR丸亀駅前広場 に面して立地している。 施設 ◾ 展示室A― 常設展示室(天井高3.7m×壁長53m) ◾ 展示室B― 常設展示室(天井高9.0m×壁長63m) ◾ 展示室C― 企画展示室 ◾ ミュージアムホール― 固定席170席 ◾ 造形スタジオ ◾ 美術図書室― 美術専門図書室、ビデオライブラリー ◾ ゲートプラザ ◾ ミュージアムショップ ◾ カフェレスト「ミモカ」 ◾ カスケートプラザ― 滝とオブジェのある庭園 建築概要 ◾ 設計― 谷口吉生 Page 1 of 2丸亀市猪熊弦一郎現代美術館 - Wikipedia 2017/05/19https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B8%E4%BA%80%E5%B8%82%E7%8C%AA%E7%86%8A...
  5. 5. ◾ 竣工― 1991年 ◾ 敷地面積― 5,975m2 ◾ 建築面積― 3,604m2 ◾ 延床面積― 8,000m2 ◾ 構造― SRC造 ◾ 規模― 地上3階、地下1階 ◾ 所在地― 〒763-0022 香川県丸亀市浜町80番地1 ◾ 受賞― 第26回SDA賞(1992年)、第34回BCS賞(1993年)、第7回村野藤吾賞(1994年)、第5回公共建築賞特別賞 (1996年)、公共建築百選(1998年) 交通アクセス ◾ JR 予讃線 丸亀駅 徒歩2分 ◾ 高速バス(東京新宿・名古屋・大阪・神戸から発着)「丸亀駅」バス停 徒歩2分 周辺情報 ◾ 秋寅の館 ◾ 丸亀城 ◾ 丸亀市立資料館 ◾ 丸亀平井美術館 ◾ 丸亀港 ◾ うちわの港ミュージアム 関連項目 ◾ 個人美術館 ◾ 香川県の観光地 ◾ 丸亀市立図書館 - 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館の一部に中央図書館が置かれている。 外部リンク ◾ 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館 (http://www.mimoca.org/) 「 oldid=63220169&現代美術館郎熊弦一猪市亀丸https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title= 」から取得 カテゴリ: 香川県の美術館 日本の現代美術館とギャラリー 丸亀市の教育 丸亀市の建築物 第34回BCS賞 公共建築賞 1991年竣工の建築物 1991年開業の施設 ◾ 最終更新 2017年3月3日 (金) 15:51 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。 ◾ テキストはクリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンスの下で利用可能です。追加の条件が適用される場合 があります。詳細は利用規約を参照してください。 Page 2 of 2丸亀市猪熊弦一郎現代美術館 - Wikipedia 2017/05/19https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B8%E4%BA%80%E5%B8%82%E7%8C%AA%E7%86%8A...
  6. 6. 柳窪 —  町名  — 古民家を囲む屋敷林と生垣(柳窪4丁目) 柳窪の位置 座標: 北緯35度44分42.9秒 東経139度29分44.2秒 国 日本 都道府県 東京都 市 東久留米市 面積(2013年1月1日[1] )  - 計 0.89km2  (0.3mi2 ) 標高 64.0m (210ft) 人口 (2017年4月1日[2] )  - 計 5,412人人 等時帯 日本標準時 (UTC+9) 郵便番号 203-0044[3] 市外局番 042[4] ナンバープレート 多摩[5] 自動車登録住所コード 13 521 0247[6] ※座標・標高はくるみ保育園(柳窪二丁目15番6号)付近 古民家と欅の古木(柳窪1 丁目) 柳窪 (東久留米市) 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 日本 > 東京都 > 東久留米市 > 柳窪 (東久留米市) 柳窪(やなぎくぼ)は、東京都東久留米市の西端に位置する行政町名である[7] 。柳窪一丁目から柳窪五丁 目まである[7] 。柳久保とも表記する[8] 。住民基本台帳に基づく2017年(平成29年)4月1日現在の人口は 5,412人[9] 、2013年(平成25年)1月1日現在の面積は0.89km2[1] 。郵便番号は203-0044[3] 。 東久留米市内を流れる黒目川の源流域の柳窪には、江戸時代末期から昭和初期までに建築された伝統的 な造りの大・中型民家、白壁の土蔵群、古民家を取り囲むヒイラギの生垣、ケヤキ・カシなどの高木・巨木が そびえ立つ屋敷林が見られ、周辺の畑地と併せて、江戸時代の武蔵野の農村集落の面影を今に残してい る[10] 。黒目川源流域に沿った一帯1.3592ヘクタールは東京都が管理する「柳窪緑地保全地域」に指定され ている[11] 。 目次 ◾ 1 地理 ◾ 1.1 小・中学校の学区 ◾ 1.2 古民家と屋敷林 ◾ 1.3 黒目川源流域と湧水 ◾ 2 歴史 ◾ 2.1 近世から近代 ◾ 2.1.1 武州世直し一揆と柳窪 ◾ 2.2 現代 ◾ 3 柳久保小麦 ◾ 4 交通 ◾ 4.1 公共交通 ◾ 4.2 道路 ◾ 5 施設 ◾ 6 文化財 ◾ 7 出典・脚注 ◾ 8 参考文献 ◾ 9 関連項目 ◾ 10 外部リンク 地理 東久留米市の西端に位置し、西は東村山市、南は小平市と接する[7] 。南部を東西方向に新青梅街道が通 過する地域であり、大部分は住宅地として利用されている[7] 。二丁目に山崎製パン武蔵野工場、四丁目に 黒目川の水源、五丁目に東久留米市立第十小学校がある[7] 。 北は下里三丁目・四丁目、東は滝山五丁目・六丁目、南は小平市大沼町二丁目・四丁目、小平市美園町三 丁目、西は東村山市萩山町五丁目、東村山市恩多町一丁目・二丁目、青葉町一丁目と接する。 小・中学校の学区 公立の小・中学校に通学する場合、学区は次のように指定されている[12][13] 。このうち、第十小学校は柳窪五丁目にある[7] 。 丁目 区域 小学校 中学校 柳窪一丁目 9番、10番1号・36号〜55号 下里小学校 下里中学校 上記以外 第十小学校 柳窪二丁目 全域 柳窪三丁目 柳窪四丁目 柳窪五丁目 古民家と屋敷林 柳窪には屋敷林に囲まれた江戸時代末期から明治初期の大型民家5軒と明治中期から昭和初期の中規模の伝統的な民家8軒 が残っている。また、養蚕による生糸の輸出で栄えた時代の建物もいくつか現存し、実用されている[14] 。 旧集落内には土蔵が21棟建っている。白壁の土蔵が20棟、外壁に大谷石が積まれている土蔵が1棟で、農村風景の歴史的な環境が維持されている中で、こ の地区の景観の重要な要素となっている。 柳窪 Page 1 of 5柳窪 (東久留米市) - Wikipedia 2017/05/19https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E7%AA%AA_(%E6%9D%B1%E4%B9%85%E7%95%9...
  7. 7. 顧想園_村野家住宅(柳窪 4丁目) 天神社前の黒目川と湧水 _東京名湧水57選(柳窪四 丁目) 武州世直し一揆の床柱の 傷_顧想園(柳窪4丁目) 江戸時代、大都市となった江戸においては大火が頻繁に起こった。そのため享保期(1716年 - 1735年)以降、幕府は防火対策の ひとつとして土蔵等の建築を奨励した。以来、土蔵の建築は農村部にも普及し、柳窪においても幕末から明治・大正期にかけて 築かれた土蔵は多い。2008年(平成20年)の日本女子大学住居学科による調査対象となった土蔵群は幕末期3、明治初期3、明 治30年代3、大正期1、年代不詳1となっている[15] 。 この地域には鬱蒼としたケヤキ、シラカシからなる屋敷林が残っている[16] 。そのなかでひときわケヤキの大木が目立つ柳窪四丁 目の村野家住宅は、唯一東久留米市内に残る江戸時代の茅葺民家である。同住宅は、江戸から大正期にかけて建てられた貴 重な建物として、2011年(平成23年)に主屋等7件が国の登録有形文化財に登録された[17] 。同年それらの建物を総称して「顧想 園」と命名し、春と秋に一般公募の見学会(都文化財ウイークへの参加など)が実施されている。園内にはさまざまな植生が見ら れ、なかでも武蔵野では急激に数を減らしてなかなか見られなくなったクマガイソウ、キンランなどが保護されて、毎年春に花を咲かせる[18] 。 黒目川源流域と湧水 現在は小平霊園内にあり、昔はさいかちの木が何本も生えていたたためその名で呼ばれる「さいかち窪」(柳窪三丁目)は、地形 的には黒目川の源流部にあたり、雨量の多いときに稀ではあるが林の中に湧水が出現する「幻の湧水」と言われる[19] 。黒目川沿 いの天神社(柳窪四丁目)付近の湧水は、東京の名湧水57選に指定された[20] 。季節や天候により水量は変動し枯れることもある が、透明でゆるやかな流れと伝統ある社殿、周辺の曲がりくねった道や道祖神は、昔ながらの風景を残している。 2013年(平成25年)に新青梅街道から黒目川沿いに柳窪を縦断して下流の柳橋まで約1kmにわたる遊歩道が開通した。「さいか ちの道」と名付けられたこの道は、東京都指定の「雑木林のみち」の延長でもある[10][21] 。柳橋から下流には久留米西団地内の「し んやま親水広場」を抜ける遊歩道が整備されており、更にその先の下里氷川神社まで延伸する遊歩道は2017年(平成29年)4月 に開通した[22] 。これにより新青梅街道から下里氷川神社まで黒目川に沿う約2.1kmの親水化整備区間の遊歩道が完成した。 歴史 近世から近代 江戸時代には武蔵野の荒地が開墾されて田畑となった。東久留米市域の村々は江戸時代初期またはそれ以前から存在していたが、旧柳窪村は江戸時代に 入ってから開発され、寛文10年(1670年)に幕府領(天領)となった。安政5年(1858年)に一時期熊本藩領となったのを除き、幕末まで天領であった。村が成立 して間もない元禄11年(1698年)、その石高は僅かに7石でしかなかったが、宝永6年(1709年)、隣接する田無村の飛地から74石が分けられ、合わせて82石2 斗の村高となった。享保18年(1733年)には102石に、幕末ごろには柳窪新田分を含め233石となっている[23][24] 。 江戸時代の文献や石造物には「柳窪」または「柳久保」と表記されている。現在の住居表示では柳窪一丁目 - 五丁目を中心に、下里四丁目の一部が含まれ る。柳窪村の江戸時代、文政10年(1827年)の家数は38軒、人口は222人、1872年(明治5年)の家数は42軒、人口は253人だった。1872年(明治5年)から神奈 川県に編入され、1889年(明治22年)に柳窪村など8村に柳窪新田などを加えて久留米村が成立した。1893年(明治26年)に東京府に編入し、1943年(昭和18 年)に東京都となった[19] 。 武州世直し一揆と柳窪 慶応2年6月13日(1866年7月24日)、秩父郡上名栗村に端を発し、武蔵17郡・上野2郡に及んだ武州世直し一揆には、農民・民衆 等10万人余が参加したといわれる。一揆勢は各地で米の安売りや施金・施米、質地証文・借金証文の廃棄などを求めて次つぎに 豪農・豪商を襲いながら、鎮圧される同月19日(西暦7月30日)までの7日間で関東西部各地に広がった。打ちこわしの被害にあっ た村は202村。幕末期、しかも将軍のお膝元で起きた関東最大の一揆が幕藩体制に与えた衝撃は大きく、幕府の威信を揺るが し、その瓦解を早めた要因のひとつとなった[25] 。 この一揆の鉾先は柳窪にも向けられた。6月14日 - 15日(西暦7月25日 - 26日)に扇町屋、所沢などで豪・農商を襲い、16日(西暦 7月27日)早朝には大岱村の亀次郎宅を打ちこわしたあと、柳窪村の名主七郎右衛門宅と分家・農業七次郎宅にも打ちこわしを かけた。その数は数百人との説もあるが定かではない。江戸の江川代官所内にあった砲術訓練所でかねてより特別の訓練を受 けていた農民の武装組織、いわゆる江川農兵が一揆勢の鎮圧にあたった。田無村に出張中の江川代官所の役人は柳窪村打ち こわしの報を受け、すぐさま鉄砲をもった農兵16人と村役人や人足など150人ほどをひきつれ出陣した。農兵は七次郎宅打ちこわ し中の一揆勢に向けて容赦なく発砲した。その結果、武器をもたない一揆勢はたちまち総崩れとなった。即死者8名、逮捕者13 名、負傷者80余名という結果を残して、一揆勢は鎮圧・壊滅された[26] 。 事件発生の翌慶応3年4月(1867年5月)、襲撃を受けた農 業村野七次郎ら12人の上層農は今後に備えて食料の備蓄などについて対策を講じ、自然災害や農民の困窮に備えて、村人全 員257人60日分の食糧を備蓄すること、また非常の際、窮民への助成金として金10両を積み立てておくことを取り決めた記録が残 されている[27] 。 村野七次郎宅であった村野家住宅(柳窪四丁目)には、主屋の奥座敷の床柱や長押に鋸や鎌などによると思われる襲撃の傷跡が今も残っている[28] 。 一揆勢を鎮圧刷るための江川農兵の出動は、柳窪村だけでなく、昭島市(築地川原、日野・八王子農兵)、あきる野市(入野村、五日市・桧原農兵)にも及んで いる。江川役所手代らの「見かけ次第うち殺すべし」との指示のもと、これらの地域でも激しい戦闘が繰り広げられた。築地川原での死者は18人、召捕は41 人。入野村では死者10人、召捕26人であったという[29] 。武州世直し一揆展開図[30] によれば、他所では藩兵・関東取締出役・自警団などが鎮圧にあたっていた が、多摩郡の江川支配下では、村の治安維持装置として武装農兵組織を本格的に稼働させた。柳窪村における一揆鎮圧は、このような武装農民組織が実戦 投入されたケースとして注目される。 現代 この地域も1950年代終り以降、東京のベッドタウンとして開発が進む。1959年(昭和34年)に旧保谷町・旧田無町・旧久留米町にまたがるひばりが丘団地が完 成、1968年(昭和43年)には旧久留米町の雑木林の地に造成された滝山団地の入居が開始され、急激な人口流入が起こる。1968年(昭和43年)の新都市計 画法の施行により市街化区域と市街化調整区域の区分が制定され、1970年(昭和45年)に東久留米市は市内全域が市街化区域に指定された[31] 。これにより 柳窪地区の多くの畑地・果樹園の宅地への転用が加速され、平地林だけではなく屋敷林も消えていった。集落内にはラブホテルも建設された。 危機感を抱いた地元地権者の有志たちは、宅地開発の荒波のなかで緑と景観を守るべく、柳窪地区の12.2ヘクタールの土地を都市計画法上の「市街化調整 区域」へ編入すること(逆線引き)を東京都に申請した[32] 。ルールに基づいて行政が決定した都市計画法の線引きの変更はむずかしく、また「市街化調整区 域」では開発が強く制限されて土地取引価格の下落が一般的である。それでも有志たちはこの地域の自然と景観を保全する道を選んだ[33] 。申請は1990年 (平成2年)に認められ、これにより、隣接する「柳窪緑地保全地域」と併せて、上空から見ると市街化地域の中に浮かぶ「緑の島」と呼べるような景観が残され ることになった。 Page 2 of 5柳窪 (東久留米市) - Wikipedia 2017/05/19https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E7%AA%AA_(%E6%9D%B1%E4%B9%85%E7%95%9...
  8. 8. 柳窪付近の空中写真。画像中央付近の緑 地帯が「柳窪緑地保全地域」。2008年撮影。 国土交通省 国土画像情報(カラー空中写 真) (http://w3land.mlit.go.jp/WebGIS/)を基 に作成。 柳久保小麦(右):従来種 の小麦(左)より穂丈が長 く太い 1969年(昭和44年)11月1日に住居表示を導入した[8] 。これと前後して柳窪と柳窪新田を柳窪一丁目から柳窪五 丁目とし、一部は下里、南町、弥生町へ移行した[8] 。柳窪四丁目と五丁目に「市街化調整区域」が含まれる。 柳久保小麦 かねてより、柳窪は「柳久保小麦」発祥の地としてその名が知られている。柳久保小 麦は、嘉永3年(1850年)あるいは嘉永4年(1851年)、柳窪の奥住又右衛門が旅先 から持ち帰った一穂の麦から生まれたとする説[34] [35] が流布されているが、一方、 江戸から肥料にまぎれて運ばれてきた日本国外の長穂の種を又右衛門が発見して 増殖したとする説[36] もあり、その経緯は必ずしも明確になっていない。優良な小麦 だったので評判になり、「又右衛門種」あるいは「柳久保小麦」と呼ばれ、東京各地 や神奈川県など近隣県の農家でも栽培された[37] 。この麦からは良質の粉ができ、 「人が集まればうどん」の地域の習わしの中で、柳久保小麦の人気は高かった。柳 久保小麦は、普通の小麦より穂丈が長く太いため、家屋の屋根材としても広く利用 された。当時の民家は茅葺き屋根が多く、屋根材として不足する茅を補うために柳 久保小麦の麦藁が使われた[34] 。 しかし、栽培にあたっては丈高のため倒れやすく、収穫量も他品種の約3分の1と少ないことから、1942年(昭和17年)に戦時中の食糧増産政策により作付け が中止された。その後、1985年(昭和60年)に又右衛門の子孫がつくば市の農林水産省農業生物資源研究所に保存されていた種を譲り受けて播種し[35] 、 1988年(昭和63年)に46年ぶりに栽培を復活させた[34] 。 2010年代は、東久留米市内の10数軒の農家の協力により耕作され、うどん・ラーメン・かりんとう・饅頭・パン・クッキーなど関連商品が市内で販売されている [36][38] 。 交通 公共交通 柳窪に鉄道駅はなく、西武新宿線小平駅・久米川駅、拝島線萩山駅から徒歩30分圏内にある[39] 。 ◾ 西武バス柳窪一丁目バス停(滝山営業所管内)[40][41] ◾ 武21・久留31 東久留米駅西口 ◾ 武21 武蔵小金井駅 ◾ 久留31 昭和病院 ◾ 清03・清03-1 花小金井駅 ◾ 清03・清03-1 清瀬駅南口 ◾ (系統番号なし) 滝山営業所 道路 柳窪南部を東西方向に新青梅街道(東京都道5号新宿青梅線)が通過する[7] 。 ◾ 東京都道129号東村山東久留米線 施設 柳窪一丁目 ◾ やなぎくぼ広場[42] ◾ 都営柳窪一丁目アパート[43] ◾ トーショー交通株式会社本社[44] 柳窪二丁目 ◾ 社会福祉法人聖心会くるみ保育園[45] ◾ 山崎製パン武蔵野工場[7] 柳窪三丁目 ◾ 都営柳窪三丁目アパート[43] ◾ 小平霊園(敷地の一部) 柳窪四丁目 ◾ 柳窪天神社[46] ◾ 柳窪山長福寺(真言宗智山派) 柳窪五丁目 ◾ 東久留米市立第十小学校[7] ◾ 柳窪テニスコート[47] ◾ 築地本願寺東久留米会館[48] 文化財 Page 3 of 5柳窪 (東久留米市) - Wikipedia 2017/05/19https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E7%AA%AA_(%E6%9D%B1%E4%B9%85%E7%95%9...
  9. 9. 地蔵菩薩、石橋供養塔、 庚申塔(柳窪天神下) ◾ 明治時代村地引絵図(市有形文化財第11号)東久留米市教育委員会所蔵 明治時代初期 1873年(明治6年)の地租改正令により作成されたもので、地租改正図ともいわれ、徴税の基本となる村絵図である。当時 の8村1新田9ヵ村の全図9枚が残存しており、旧柳窪村の絵図も含まれている[49] 。 ◾ 庚申塔(市有形民俗文化財第2号)柳窪四丁目長福寺下 明和元年(1764年) 正面に青面金剛の立像を現し、像の足下に三猿を配している[50] 。 ◾ 地蔵菩薩石像(市有形民俗文化財第25号)柳窪5丁目墓地 宝永3年(1706年) 市内で2番目に古い地蔵菩薩の石像。丸彫りに近い浮き彫りに仕上げられている。蓮弁には奥住、内田、村野など造立者 の名前が見られる[51] 。 ◾ 石橋供養塔(市有形民俗文化財第3号)柳窪4丁目長福寺下 明和6年(1769年) 石柱型の供養塔で、正面光背形の窪みの中に観世音菩薩の立像を彫り、造立の趣旨と紀年銘を示している[52] 。 ◾ 地蔵菩薩石像(市有形民俗文化財第30号)柳窪四丁目長福寺下 江戸時代後期 江戸時代の新田開発集落の面影を残す柳窪にあって、当時の村名(柳久保村)が彫られている地蔵菩薩石像として貴重[53] 。 ◾ 柳窪囃子(市無形民俗文化財第2号) 天神社の春・秋祭で執り行う。柳窪囃子の流派は重松流。江戸時代末に所沢市の古谷重松が江戸の祭囃子から独自の旋律を考案したと伝えられる [54] 。 出典・脚注 1. ^ a b  “1 土地・人口 (http://www.city.higashikurume.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/001/196/01.pdf)”.  東久留米市 (2013年1月1日). 2017年4月22日閲覧。 2. ^ “平成29年3月分住民基本台帳人口調べ(平成29年4月1日現在) (http://www.city.higashikurume.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/008/870/h29.4.1.jinko.pdf)”.  東久留米市市民部市民課住民記録係 (2017年4月1日). 2017年4月22日閲覧。 3. ^ a b  “郵便番号 2030044 の検索結果 - 日本郵便 (http://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?zip=2030044&x=0&y=0)”. 日 本郵便. 2017年4月22日閲覧。 4. ^ “市外局番の一覧 (http://megalodon.jp/2015-0725-1702- 34/www.soumu.go.jp/main_content/000141817.pdf)”. 総務省 (2014年4月3日).  2015年7月25日時点のオリジナル (http://www.soumu.go.jp/main_content/000141817.pdf)よりアーカイブ。2017年4 月22日閲覧。 5. ^ “東京都の陸運局 (https://web.archive.org/web/20170421153636/https://www.kurunavi.jp/guide/rikuunkyoku_tokyo.html)”.  くるなび. 2017年4月21日時点のオリジナル (https://www.kurunavi.jp/guide/rikuunkyoku_tokyo.html)よりアーカイブ。2017年 4月22日閲覧。 6. ^ “住所コード検索 (https://web.archive.org/web/20170421153851/http://www.kodokensaku.mlit.go.jp/motas/index.php? action=addr&module=codesearch&page=1&kencode=13&guncode=13521&soncode=99&mcode=0247)”.  自動車登録関係コード検索システム. 国土交通省. 2017年4月21日時点のオリ ジナル (http://www.kodokensaku.mlit.go.jp/motas/index.php? action=addr&module=codesearch&page=1&kencode=13&guncode=13521&soncode=99&mcode=0247) よりアーカイブ。2017年4月22日閲覧。 7. ^ a b c d e f g h i 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編 1978, p. 1103. 8. ^ a b c 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編 1978, p. 722. 9. ^ “平成29年3月分住民基本台帳人口調べ(平成29年4月1日現在) (http://www.city.higashikurume.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/008/870/h29.4.1.jinko.pdf)”.  東久留米市市民部市民課住民記録係 (2017年4月1日). 2017年4月22日閲覧。 10. ^ a b  NPO法人東久留米の水と景観を守る会・柳窪の環境景観の保全を考える 会『緑の島へようこそ 柳窪旧集落・「顧想園」・柳窪ばやしのご案内』NPO法人 東久留米の水と景観を守る会, p. 2. 11. ^ “柳久保緑地保全地域 (http://www.kankyo.metro.tokyo.jp/nature/natural_environment/tokyo/area/33_yanagikubo.html)”.  2017年4月22日閲覧。 12. ^ “東久留米市立小学校の通学区域表 (http://www.city.higashikurume.lg.jp/shisei/kyoiku/nyugaku/1001830.html)”. 東 久留米市教育部学務課学事係 (2015-0324). 2017年4月22日閲覧。 13. ^ “東久留米市立小・中学校の通学学校早見表 (http://www.city.higashikurume.lg.jp/shisei/kyoiku/nyugaku/1001832.html)”. 東 久留米市教育部学務課学事係 (2015年8月13日). 2017年4月22日閲覧。 14. ^ NPO法人東久留米の水と景観を守る会・柳窪の環境景観の保全を考える会 『緑の島へようこそ 柳窪旧集落・「顧想園」・柳窪ばやしのご案内』NPO法人東 久留米の水と景観を守る会,p.4 15. ^ 住居学科・鈴木賢次『東京都東久留米市柳窪地区に残る武蔵野の景観II- 土蔵の形式と特徴について〜日本女子大学紀要 家政学部 第57号』日本女子 大学,2010,pp.118-119 16. ^ 福嶋司『カラー版 東京の森を歩く』講談社,2017,p.233 17. ^ 東久留米市教育委員会生涯学習課『くるめの文化財 第27号〜国登録有形文 化財「村野家住宅」』東久留米市,2011年5月 18. ^ 福嶋司『カラー版 東京の森を歩く』講談社,2017,p.234 19. ^ a b 東久留米市教育委員会生涯学習課『くるめの文化財 第21号~旧柳窪村』 東久留米市 2005年11月. 20. ^ “東京の名湧水57選一覧 (http://www.kankyo.metro.tokyo.jp/water/conservation/spring_water/tokyo/index.html 東京都環境局. 2017年4月22日閲覧。 21. ^ “雑木林のみち〜黒目川・柳窪コース (http://www.kankyo.metro.tokyo.jp/nature/natural_environment/tokyo/thicket_way/cou 東京都環境局. 2017年4月22日閲覧。 22. ^ 東久留米市企画経営室秘書広報課『広報ひがしくるめ No.1186』東久留米 市,2017年4月,p.3 23. ^ 東久留米市教育委員会生涯学習課文化財係『東久留米の江戸時代〜文化 財からみた東久留米の村々』東久留米市,2005年3月,p.94 24. ^ 東久留米市史編纂委員会『東久留米市史』東久留米市,1979,pp.320-323 25. ^ 飯能市名栗村史編集委員会『名栗の歴史(上)』飯能市,2008,p.422 26. ^ 東久留米市史編纂委員会『東久留米市史』東久留米市,1979,pp.484-485 27. ^ 東久留米市史編纂委員会『東久留米市史 史料』東久留米市,1978,pp.224- 225 28. ^ 顧想園『みどりのなかの登録有形文化財〜顧想園 ご案内』顧想園,p.4 29. ^ 保谷徹『多摩のあゆみ 第164号〜特集 江川代官と多摩~江川代官と多摩の 農兵』公益財団法人たましん地域文化財団,2016年11月,p.44 30. ^ 近世村落史研究会・森安彦『武州世直し一揆』慶友社,2017,p.54 31. ^ 東久留米市史編纂委員会『東久留米市史』東久留米市,1979,p.850 32. ^ 顧想園『みどりのなかの登録有形文化財〜顧想園 ご案内』顧想園,p.1 33. ^ 福嶋司『カラー版 東京の森を歩く』講談社,2017,p.232 34. ^ a b c 東久留米市教育委員会生涯学習課文化財係『東久留米の江戸時代〜文 化財からみた東久留米の村々』東久留米市 2005年3月, p. 105. 35. ^ a b 高橋重雄『多摩のあゆみ 第136号〜特集 近現代の多摩農業 柳久保小麦』 公益財団法人たましん地域文化財団 2009年11月, p. 46. 36. ^ a b  NPO法人東久留米の水と景観を守る会・柳窪の環境景観の保全を考える 会『緑の島へようこそ 柳窪旧集落・「顧想園」・柳窪ばやしのご案内』NPO法人 東久留米の水と景観を守る会, p. 6. 37. ^ “江戸東京やさいマップ (http://www.tokyo- ja.or.jp/farming/edomap_index.html)”. JA東京中央会. 2017年4月22日閲覧。 38. ^ 東久留米市役所産業政策課『東久留米大好きっ!』東久留米市,2014年8月 39. ^ “東久留米市柳窪の賃貸 物件一覧 (http://www.homes.co.jp/chintai/tokyo/higashikurume-city/13CB8566CA- town/list/)”. LIFULL. 2017年4月23日閲覧。 40. ^ “西武バス 滝山営業所バス路線案内図 (http://www.seibubus.co.jp/ei_rosenzu/06.pdf)”. 西武バス. 2017年4月23日閲 覧。 41. ^ “「柳窪一丁目」の行き先一覧 (http://bus.ekitan.com/rosen/Rp100? 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  11. 11. ウィキペディアタウン丸亀城下町#1アンケート(2017.5.21) 本日はご参加いただいてありがとうございます。今後、また継続して丸亀や香川県内で企画を実現 していくために、よろしかったら感想御意見をぜひお聞かせください。 (該当箇所の数字を○印で囲んでください) ◆所 属 ①行政 ②教育機関 ③図書館 ④企業 ⑤その他 ◆所在地 ①香川県内 ②香川県外 ◆アカウント ①今回のイベントのために作成した ②以前から所有していた ◆WikipediaTown を ①知っていた ②このイベントで知った ◆ワークショップについてどのプロセスが楽しかったですか? ①方針・準備 ②調査 ③構成 ④執筆・校閲 ⑤公開 ◆WikipediaTown を自分で企画したいと思いますか? ①はい ②興味はあるが未定 ③まだわからない ④いいえ Ⅰ内容はわかりやすかったですか?(当てはまるところに〇印をお願いします) よく理解できた 理解できた 少し難しい 難しい 1 主催者挨拶 2 企画趣旨説明 3 「ウィキペディアタウン解説 4 古地図アプリの活用 5 ウィキペディアの書き方 6 ワークショップ 7 講評とまとめ Ⅱ全体についての評価をお願いします?(当てはまるところに〇印をお願いします) 大満足 満足 少し不満足 不満足 1 主催者挨拶 2 企画趣旨説明 3 「ウィキペディアタウン解説 4 古地図アプリの活用 5 ウィキペディアの書き方 6 ワークショップ 7 講評とまとめ ****本日は、ご参加とアンケートご協力ありがとうございました**** ご参加いただいて「印象に残ったこと」がありましたらご記入ください。

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