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渋沢栄一「論語と算盤」 中山智是

2014年11月29日(土)発表

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渋沢栄一「論語と算盤」 中山智是

  1. 1. 渋沢栄一 論語と算盤 ・理想と迷信 ・人格と修養 2014年11月29日(土) 中山智是 1
  2. 2. ・儒教を信仰して、これを言行の規矩(きく)とす。 (理想と迷信より) ・高尚なる人格をもって正義正道を行い、しかる 後に得た所の富、地位でなければ、完全な成功 とはいわれない。 (人格と修養より) Keyword 2
  3. 3. 儒教を信仰して、これを言行の規矩(きく)とす。 (理想と迷信より) Keyword-① 3
  4. 4. 儒教を信仰して、これを言行の規矩(きく)とす。 (理想と迷信より) 「・・・自分は宗教観念を今でも持たぬが、しかしそれかと言って、外道で守る所が ないというのではない。私は儒教を信仰して、これを言行の規矩(きく)としてい る。・・・」(「日新なるを要す」より) 「・・・果たして、しからば古聖賢の説いた道徳というものは、科学の進歩によって 事物の変化するごとくに、変化すべきものではなかろうと思うのである。」(「道徳 は進化すべきか」より) 「渋沢自身は、子供の頃からあまり宗教というものを信用していない(「修験者の 失敗」より) これは儒教の道徳は不変であることに起因している 更には、 4
  5. 5. Q.では、渋沢は実際にどんな儒教(論語)を大切にし たのか? 2つの論語から考察してみる 5
  6. 6. <論語-その①> 「苟ニ日ニ新ナリ、日ニ日ニ新ニシテ、又日ニ新ナリ」 (「日新なるを要す」より) ・・・殷の湯王(とうおう)が洗面の器に刻みこんだとされる座右の銘。 渋沢栄一曰く、 「・・・何でもないことだが、日々に新たにして、また日に新たなりは面白い。すべて形式に 流れると精神が乏しくなる、何でも日に新たの、心掛けが肝要である。」(「日新なるを要 す」より) 「「六国を滅す者六国なり、秦(しん)にあらざるなり」といっている。幕府を滅ぼしたるは幕 府の外なかった。大風が吹いても強い木は倒れぬ。」 (「日新なるを要す」より) Q.湯王はこの座右の銘をどんな意味合いで使用していたのだろうか?更に深く 6
  7. 7. 湯王の臣下には、「仲虺(ちゅうき)」や名補佐役として「伊尹」がいました。 湯王は仲虺や伊尹の箴言を大切にしていました。 ■仲虺の箴言 「徳日に新たなれば、万邦これ懐(なつ)き、志自ら満つれば、九族すなわち離る」 (王が日々、徳を身につけるよう心がけるなら、もろもろの国が慕い寄ってまいりましょう。逆 に、自分の欲望だけを充足させようとするなら、身内の人々も離れていきます。) 一、徳を身につけること、 一、自己コントロール が大切であると言っている。 ■伊尹は湯王のことを以下のように評しています。 湯王が身につけていた三つの徳について 一、部下の諌言によく耳を傾け、先人の教えからも熱心に学ぼうとした。 一、部下として上の者に仕えるときにはまじめに職責を果たし、責任のある地位についたとき には組織の隅々まで掌握していた。 一、人に対しては寛容な態度で接したが、自分については厳しく律し、しかも妥協しなかった。 ここから見えてくるものは? 7
  8. 8. 「苟ニ日ニ新ナリ、日ニ日ニ新ニシテ、又日ニ新ナリ」 「徳の大切さを意識するため」 「日々徳を積み重ねるため」 という意味合いが強い言葉と言えます。 この言葉は 即ち 渋沢は湯王の姿を自らに重ね、人徳を高めるための戒めとし ても使用していたのではないでしょうか? 8
  9. 9. <論語-その②> 「仁者は己れ立たんと欲してまず人を立て、己れ達せ んと欲してまず人を達す」 (「人生観の両面」より) 「・・・社会のこと、人生のことは全て、こうなくてはならぬことと思う。おのれ立たん と欲してまず人を立てといい、おのれ達せんと欲してまず人を達すといえば、如何 にも交換的の言葉のように聞こえて、自慾を充たそうために、まず自ら忍んで人 に譲るのだというような意味にも取れるが、孔子の真意は決してそんな卑屈なも のでなかったに違いない。人を立て達せしめて、しかる後に自己が立ち達せんと するは、その働きを示したもので、君子人の行ないの順序は、かくあるべきものだ と教えられたに過ぎぬのである。換言すれば、それが孔子の処世上の覚悟である が、余もまた人生の意義は、かくあるべき筈だと思う。」 9
  10. 10. 「仁者は己れ立たんと欲してまず人を立て、己れ達せ んと欲してまず人を達す」 「GIVE AND GIVEN」 「利他の後に自利」、「忘己利他」 言い換えるならば 即ち 先ず、「仁(思いやりの心)」ありきという教えの大切さ を説いた言葉である。 10
  11. 11. 高尚なる人格をもって正義正道を行い、しかる後 に得た所の富、地位でなければ、完全な成功と はいわれない。 (人格と修養より) Keyword-② 11
  12. 12. 高尚なる人格をもって正義正道を行い、しかる後に得た所の 富、地位でなければ、完全な成功とはいわれない。 「・・・目的を達するにおいては手段を選ばずなどと、成功という意義を誤解し、何をしても 富を積み、地位を得られさえすれば、それが成功であると心得ている者もあるが、余はそ の様な説に左袒(さたん)することができない。高尚なる人格をもって正義正道を行い、し かる後に得た所の富、地位でなければ、完全な成功とはいわれないのである・・・」(「権威 ある人格養生法」より) 「・・・人の禽獣(きんじゅう)に異なる所は、徳を修め、智を啓き、世に有益なる貢献をなし 得るに至って、初めてそれが真人と認めらるるのである。一言にしてこれを覆えば、万物 の霊長たる能力ある者についてのみ、初めて人たるの真価ありと言いたいのであ る。・・・」 <儒教的思考> そのためには修養が必要である。 修養とは・・・ 更に掘り下げてみると・・・ 12
  13. 13. 「自己の内にある動物的なるものを恥じ、超克して こそ克己の徳が養われるというのが儒教的思考」 「・・・われわれ東洋の天地にあっては、よしそれが人倫道徳の学といえども、その考察の対象としては、ひと り同類としての人間的領域を越えて、恩愛の情が禽獣の上にも及ぶのがその理想とせられるわけである。 即ちまたそれだけ愛の博大なる充溢ともいえるであろう。だがこのようにわれわれの愛の発露は、ひとり対人 的関係にのみ留まらないで、人間以下の生物にも及ぶべきだとするは仏教の教説であって、これとの対比 からいえば、儒教の立場はそれとはややその趣を異にするものがあるというべく、否、考えようによっては、 それは仏教とは正逆の立場にたつとさえ言えるであろう。人間以下の生物に対する態度に関して儒教の立 場は、仏教のそれとはある意味で正逆ともいえるといったのは、そもそも何故であろうか。それは儒教の立場 そのものが、元来人間本位の立場にたつ教学体系であり、随って儒教の教学の中に、一切有情に対する愛 憐の教が力説せられていないというが如きは、むしろ当然というべきだからである。儒教の教学にあっては、 それが人間本位観の立場にたつところからして、動物に対してはこれを憐れむというよりも、むしろ自己の内 なる動物的なものを恥ずべきことが力説せられているともいえるであろう。即ち人は自己の内なる動物的な るものに対して恥じ、つねにこれを超克するところに、いわゆる克己の徳は養われるというのである。・・・」 (森信三先生) 13
  14. 14. 安岡正篤先生「いかに生くべきか」 「・・・すべて生きんとする意志は、いう迄(まで)もなく人生の 原動力である。 然(しか)しながら、ただ生きようとするだけで はまだ動物的境界に過ぎない。 人格に於(おい)て、始めて 知何(いか)に生くべきかの内面的要求を生ずる。茲(ここ)に 人にのみ許された至尊なる価値の世界-法則の世界-自由 の世界があるのである。・・・ 」 14
  15. 15. Q.動物的境界を超え、真人と認められるた めにはどのような修養をすべきなのか? 15
  16. 16. 「自分を磨くことは理屈ではない。実際に行 なうべきこと。どこまでも現実と密接な関係 を保って進まなくてはならない。」 「・・・修養はどこまで行らねばならぬかというに、これは際限がないのであ る。けれども空理空論に走ることは、最も注意せねばならぬ。修養は何も理 論ではないので、実際に行なうべきことであるから、どこまでも実際と密接 の関係を保って進まねばならぬ。・・・」(「修養は理論ではない」より) 16
  17. 17. 「極端に走らず、中庸を失わず、常に穏やかな志 を持ってすすむべきである。精神面の鍛錬に力 を入れつつ、知識や見識を磨き上げていくこと。」 「・・・ゆえに修養を主とする者は、大いに爰(ここ)に鑑みる所があって、 決して奇矯に趨(はし)らず、中庸を失せず、常に穏健なる志操(しそ う)を保持して進まれんことを、衷心(ちゅうしん)より希望して止まぬの である。換言すれば、今日の修養は、力行勤勉(りょっこうきんべん) を主として、智徳の完全を得るのにある。すなわち、精神的方面に力 を注ぐとともに、智識の発達に勉めねばならぬ。しかして修養が、単に 自分一個のためのみでなく、一邑(ゆう)一郷、大にしては国運の興隆 に貢献するのでなければならぬ。・・・」(「修養は理論ではない」より) 17
  18. 18. 「「練習」「研究」「克己」「忍耐」 理想の人物や、立派な人間に近づけるよう に少しづつ努力をすること。」 「・・・修養とは身を修め徳を養うということにて、練習も研究も克己も 忍耐もすべて意味するもので、人が次第に聖人や君子の境涯に近づ くように力めるということで、それがために人性の自然を矯めるという ことはないのである。つまり人は充分に修養したならば、一日一日と 過ちを去り、善に遷りて聖人に近づくのである。・・・」(「修養は理論で はない」より) 18
  19. 19. 「神君遺訓(徳川家康公遺 訓)」には、全てが込められ ている!! 19
  20. 20. 「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し、急ぐべからず。不自由 を常と思えば不足なく、心に望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。 堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。勝つことばかり知りてまくる 事を知らざれば、害その身に至る。おのれを責めて人をせむるな。及 ばざるは過ぎたるにまされり。」 (「修養は理論ではない」より) 「人の一生は、重い荷物を背負って、遠い道のりを歩んでい くようなもの、急いではならない。不自由なのが当たり前だと 思っていれば、足りないことなどない。心に欲望が芽生えた なら、自分が苦しんでいた時を思い出すことだ。耐え忍ぶこ とこそ、無事に長らえるための基本、怒りは自分にとって敵 だと思わなければならない。勝つことばかり知っていて、うま く負けることを知らなければ、そのマイナス面はやがて自分 の身に及ぶ。自分を責めて、他人を責めるな。足りない方が、 やりすぎよりまだましなのだ」 20
  21. 21. 中年の人よ 自己と戦え 孤独になれば孤独と戦い 名声を得れば名声と戦い いつも手綱を引き締めよ 不遇だった時を忘れるな 貧乏だった頃を思い出せ つねに謙虚であれ 奢りは悪魔の誘いだと思え (坂村真民・詩人) 21

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