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出版学会会報133資料

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出版学会会報133資料

  1. 1. 出版学会会報原稿 (追加資料を含む) 2012 年 8 月 15 日 林 智彦(t-hayashi@toki.waseda.jp) 1
  2. 2. 発表演題:メディア論から見た「電子書籍論」 :その困難と可能性について発表者名:林 智彦(朝日新聞社)【電子書籍「論」元年】 2010〜11 年にかけて、 「電子書籍」に関する議論が、わが国のさまざまなメディアにおいて、活発に交わされた。特に 2010 年は「電子書籍元年」という言葉が、一種の流行語のようになった。業界関係者の間では、 「電子書籍元年」という言葉が含意する、ビジネス面での急速な発展はまだ実現していないという見方が大勢だが、他方で「電子書籍」についての言説の急速な盛り上がり=「電子書籍『論』元年」については、すでに我々は経験した、と見る事ができるかもしれない。 このことを、いくつかのデータで裏書きしてみよう。日本国内でシェア 9 割を超える検索エンジン Google 上で、 利用者が入力したキーワードを集計する「Google Trends」を使って、 「電子書籍」というキーワードによる検索数の変化を調べたのが下記の図1である(検索日時:2012/04/26 12:20) 。 「電子書籍」への関心(Google Trends)(図1)Google Trends 縦軸は調査対象期間の検索数の平均を1とした場合の指数を示す。これを見ると、「電子書籍」への検索エンジン利用者の関心は、2010 年末がピークであったこと、 2
  3. 3. 2011 年第一四半期に一度落ち込み、その後一定の水準で推移していることがわかる。 言うまでもなく、検索エンジン上の「人気」と社会全体の関心度がパラレルである保証はない。そこで別のソースも挙げてみよう。(図2)全国紙+NHK 記事 上記図2は全国紙三紙と NHK ニュースで、タイトルか記事本文に「電子書籍」という文言を含む記事を、日外アソシエーツ社のデータベースで検索した結果である(「新聞・雑誌横断検索」検索日時:2012 年 4 月 25 日 6 時 14 分。対象は朝日・読売・毎日の全国紙三紙と NHK ニュース。縦軸は件数) 。 このデータを見ると、件数のピークは 2010 年の 895 件で、2012 年は傾向としては下落していることがわかる。 国会図書館所蔵資料や全国の公立図書館のデジタル資料を検索できる「国会図書館サーチ」を用いて資料の数を調べて見ても、下記のように同様の傾向が見られた(2012年 5 月 16 日検索。縦軸は件数)。 3
  4. 4. 「電子書籍」関連資料(国会図書館サーチ)(図3)国会図書館サーチ 以上をまとめていうと、マスメディアやネット上における「電子書籍」というテーマへの関心は、2010 年にピークを迎え、ネットでは引き続き関心を集めているが、プリントメディアでの関心は、急速に低下している、というのが 2012 年春時点で立てられる推測である。 すなわち、2010 年に電子書籍論のピークがあったという仮説は、これらのデータによって、ある程度裏書きされたと見る事ができる。【電子書籍論の代表的な著作と論点】 次に「電子書籍論」の内容に目を向ける。 2010 年〜2012 年にかけて出版された、代表的な電子出版論の著作として、日本人による著作としては、以下の書籍を挙げることができる。佐々木俊尚 (2010)、西田宗千佳 (2010) 、前田塁 (2010) 、田代真人 (2010) 、大原ケイ (2010)、立入勝義 (2011) 、山田順 (2011) 、日垣隆 (2011)、岸博幸 (2011)、植村八潮 (2010)、村瀬拓男 (2010)、津野海太郎 (2010)、萩野正昭 (2010)、中西秀彦 4
  5. 5. (2010)、歌田明宏 (2010)、酒井邦嘉 (2011) また、国外の著作としては、以下の例を挙げることができる。Eco& Carrière (2010) 、Shepard (2010) 。 さらに、刊行年はやや古いが、Sanders (1998)も、電子出版の文化にもたらす影響について論じた書籍として参考になる。 これらの著作を検討すると、以下のようなことがわかる。(1) 電子書籍の登場や普及に関して、その革新性、歴史的断絶性を強調する論者 (例えば、佐々木、前田、田代、立入ら)と、メディア・出版の長い歴史に おける連続性を強調する論者(植村、村瀬、津野、萩野、Eco & Carrière ら) とがいる。(2) 総じて、研究や実務の面で電子書籍に長く関わってきた論者ほど、電子書籍 に関する現象を歴史的連続性の相において見る傾向が強いのに対し、新たに 参入してきた論者ほど、断絶性を強調する傾向が強い。(3) また、電子書籍のもたらす変革を、技術的・ビジネス的な観点から不可避の 過程と見なす「運命論・決定論」的な議論と、当事者や利用者によるコント ロールの可能性を強調する「主体性論」的な議論とがある。(4) 前者の代表として前田、後者の代表的な例として岸が挙げられる。(5) さらに主張内容とは別の次元で、電子書籍化への流れを肯定的にとらえる楽 観論者と否定的にとらえる悲観的な論者、そのどちらでもないものと考える 価値中立的な論者がいる。 どの著作も独自の文脈の中でそれぞれの議論を展開しているのであり、従ってこのような整理はどのようにまとめようとも、単純化のそしりを免れない。また一冊の書物の全体にわたって、一つの立場に固執した本ばかりというわけでもない。だが全体的な傾向を把握する上では、このような雑な分類も多尐なりとも役に立つだろう。 これを図にすると、以下のようになる。 5
  6. 6. (図4)電子書籍論の構図 注目すべきは、上のような立場の違いにもかかわらず、類似した主張が、立場の違いを超えて複数の著作に共通して見られる点である。顕著な例として、以下の論点が挙げられる。(A) 「中抜き」仮説(B) 「電子書籍≠本」仮説(C) 「プラットフォーム=垂直統合」仮説(D) 「文化破壊」仮説 各論点についてさらに説明を加えよう。 まず、(A)「中抜き」論は、 (A−1)主に経済的・ビジネス的な意味の議論、(A−2)主に文化的な意味の議論、に分けられる。 (A−1)は、 (C)と合わせて後に論じ 6
  7. 7. る。(A−2)は、「電子書籍は、コンテントの送り手と受け手が直接結びつくことを可能にする(またそのことによって社会を変革する) 」という論議である。代表的な議論として佐々木 (2010)が挙げられる。 佐々木は同書で「電子書籍の時代になると……誰でも本を出版できるようになる」「(電子書籍により)ソーシャルメディアを駆使して書き手が読者とダイレクトに接続する」などと、この意味の「中抜き」を強調した議論を展開している。 次に(B)であるが、これは、 「電子書籍は(紙の)本ではない(別の何かである) 」という主張である。この議論は(B−1)「コンテンツ・メディアとしての電子書籍は本と別の何ものかである」という主張と、 (B−2) 「電子書籍の市場と本の市場は別である」という主張に分類することができる。 さらに、(B−1)は、(B−1−A)「電子書籍は紙の本にはできない機能を備えたものである(べき。紙のレプリカではない) 」という議論と、 (B−1−B) 「電子書籍は紙の書籍と基本的には同じ機能を持つ(レプリカである)が、目的・用途・利用者の経験は異なる」とする主張に分けられる。 他方、市場に着目した(B−2)の議論も、子細に検討すると、下記の図5のようにさまざまなバリエーションがあることがわかる。電子書籍を含む書籍の「市場」をどうとらえるか(従来の出版市場の拡大ととらえるか、新しい市場へ紙の書籍が飲み込まれる、ととらえるか) 、その「市場」の「担い手」をどうとらえるかによって、結論は変わってくるということが含意されている。 7
  8. 8. (図5) 「電子書籍市場と紙の本の市場は異なる」という主張の分類 次に(C)の「プラットフォーム=垂直統合」仮説について述べたい。アメリカ コンテンツビジネスのあり方を刷新した Apple や Amazon は、コンテンツの制作・加工、配信・課金プラットフォーム、サーバーや通信などのインフラ、そしてデバイスという複数のレイヤーをたばねたサービス提供をしている、と言われる。いわゆる「垂直統合」論である。 これに対して旧来のコンテンツ産業は、各レイヤーを複数の企業が担っている。この構造の違いを肯定的に評価する(岸)か、否定的に評価する(佐々木)かの違いはあるが、産業構造がある種の変革の圧力にさらされていることに焦点を当てるのが、この議論である。 複数のプラットフォームを統合した企業体に対して、旧来のコンテンツ産業側が代替的なプラットフォーム構築に失敗すれば、旧勢力は競争に敗れ、プラットフォーマー(プラットフォーム運営者)による支配を受け入れざるを得なくなる。さらに著者と市場が、プラットフォームを通じて直接つながるようなことがあれば、仲介業者と 8
  9. 9. しての出版社の役割は縮小せざるを得ない。これが(A−1)で述べた「経済的・ビジネス的な意味の『中抜き』である。 最後に(D)について。この論点は、 「電子書籍は文化を破壊する」というものだが、細かく分けると、二つの変種がある。(D−1)ナショナリズム的な意味の「文化破壊論」 。それと(D−2)文明論的な意味の「文化破壊論」である。 前者は前項(C)とも関連づけながら、海外、特に米国の電子出版のビジネスモデルが日本市場に持ち込まれる結果、日本の出版文化が破壊されると論ずるもの。代表的な議論は岸博幸 (2011)である。 これに対し、ビジネスモデルと文化の衰退との関係を疑う声もある(大原ケイ(2010)) 。 他方、後者は、広く文明論的な、あるいは科学的な視点から「文化の破壊」を論じる。代表的な議論は、Sanders (1998)、酒井邦嘉 (2011)である。 こういう議論に対しては、さらに広い文脈からの批判がある。代表的な議論は、Eco&Carrière (2010)において展開されている。【これらの議論は「新しい」か?】 さてここまで紹介した議論を、出版研究やメディア論のこれまでの研究の蓄積の中に位置づけると、どんな知見が得られるだろうか? これにはさまざまなやり方が考えられる。その一つが、過去の「メディア受容論」を参照する方法である。 どんなメディアも誕生したときは「ニューメディア」であり、その導入時にはさまざまな軋轢が生じると考えられる。 そのような軋轢によって生じる批判を、 (2011) 「ネオフォビア 橋本 は (neophobia) 」と呼び、その歴史を、古代ギリシアにまで遡って検討している。 たとえば哲学者プラトンは、「文字」を批判した。文字を学ぶと、記憶力が減退し、本当の知恵が培われなくなる、というのだ(橋本:97) 。 18 世紀から 19 世紀半ばにかけて活躍したドイツの哲学者ショーペンハウアーは 9
  10. 10. 「本(による読書)」を攻撃した。「読書とは他人にものを考えてもらうことである。1 日を多読に費やす勤勉な人間はしだいに自分でものを考える力を失ってゆく」というのだ。 これらの例に見られるように、 「ネオフォビア」は、新しいメディアが生まれるときにはつきものだという。橋本は、そのことを以下のように説明する。「文字に始まり、インターネットに至るまで、あらゆる革新的メディアはそれが普及する過程で猛烈な非難を受けてきたということは確実に言える。たとえば、電話も、アメリカでは、その普及によって人々の直接的交流の機会が減ると懸念された。ワープロでさえ、漢字を忘れる、単なる切り貼りが増える、といった表面的な批判だけでなく、生活に密着した具体的な語が使われることが尐なくなり、また内面的思考力が衰えるといった指摘もあった。さらに、日本語文化において受け継がれてきた漢字の書字行為と脳の活動が分断されることで『全身的思考力』が失われると述べた人もいた」 (橋本:99) メディア批判は「現在」や「近過去」のメディア状況を元に、 「現在進行形」や「将来」のメディアテクノロジー、またそれのもたらす(と想定される)メディア環境を論じる。電子書籍や、電子書籍のもたらすメディア環境を論じた電子書籍論も、この例に漏れない。 だとすれば、そこには過去の議論との共通性が見いだされるはずであろう。 その意味で、ここで参考にしたいのが、1950 年〜80 年代に、始めラジオ、次にテレビの持つ社会的インパクトについて論じた「電子メディア論」の系譜である。 橋元によれば、過去に出現したメディアの中で最も数多く議論が交わされてきたのがテレビだという(橋元:100) 。 日本では、ジャーナリスト大宅壮一による「一億総白痴化論」が有名だが、欧米では、メディア論という学問分野自体を作り出したマーシャル・マクルーハンの影響を受けた流れと、マックス・ホルクハイマーとアドルノらのフランクフルト学派の流れとが、ラジオ、テレビなどの電子メディアの持つ可能性について活発な議論を戦わせてきた。この他、社会心理学やカルチュラル・スタディーズなど、さまざまなバック 10
  11. 11. グラウンドを持つ研究者から、テレビの持つ可能性について、批判論や擁護論が提出されてきた。 その中で、電子書籍論を検討するにあたって参考にできそうな論調として、ここではマクルーハン(とその先達であるイニス)とフランクフルト学派の論者達を中心に取り上げて、図4と同様の構図で整理してみたのが図6である。(図6)欧米の電子メディア論の構図 電子書籍論と同様に、電子メディア(テレビ等)のもたらすインパクトを、歴史的な断絶の層でとらえるか否か、またそれをコントロール可能なものとして見るかどうかで、論者の立場は分類できる。 この構図を理解するのに最もわかりやすいのが、図の第一象限に位置するボードリヤールと第二象限に位置するエンツェンスベルガーである。 実はこの二人は、電子メディアの可能性をめぐって、1980 年代初頭に「エンツェン 11
  12. 12. スベルガー・ボードリヤール論争」を展開している(Mattelart (1998)) 。 Mattelart などによると、この論争の論点は二つあった。一つは、技術決定論をめぐる論点。電子コミュニケーションの技術は、伝達される内容やその効果を決定づけるものなのかどか。もう一つは、 「誰が」コントロールするかで、そうした内容や効果は変えられるものなのかどうか、という点である。 エンツェンスベルガーは、テレビを主に念頭に置きながら、支配階級に握られたメディアは支配階級の考えや価値観を人々に押し付けている、と見るが、他方でこの新しいメディアには、「解放的可能性 emancipating potential」があり、被支配階級がうまく利用すれば、社会をよりよい方向へ導ける可能性がある、と見る。 これに対してボードリヤールは、電子メディアのもたらすコミュニケーションは実際には「ディスコミュニケーション」であり、そこにおいては本来の意味での前向きな意見や情報の伝達などはありえない、と論じた。 ヨーロッパの知識人の電子メディアについての論調は、この二人に代表されるような批判論と擁護論、悲観論と楽観論に別れていたが、電子メディア論を含む大衆文化論のこうした対立を、ユニークな視点から早期に批判していたのがイタリアのウンベルト・エーコである。 エーコは 1964 年に刊行した (Apocalittici e integrati) 「終末論者と取り込まれた者 」という著書で、この対立は偽の対立であり、二つは同じ盾の両面でしかない、と論じた(Eco, U. & Lumley, R. (1994)) 。 ここでいう「終末論者」は新しいメディアや文化の登場により文明は劣化しており、明日にも人類が亡びる、というような主張を展開する論者であり、「取り込まれた者」とは、新しいメディアや文化の創造に積極的に参加しているうちに、それに対する批判の目を失ってしまった論者である。 エーコは次のように示唆する。終末論者もグーテンベルクの革命がなければ、自分の意見を広めることはできなかったのに、新しいメディアだけを批判するのはおかしいのではないか。木版本の発明によっても、活版本の発明によっても聖書の内容は変化した。どれも発明以前と比べれば「劣化」していることは間違いないが、それは現 12
  13. 13. 代社会の「条件」でもある。無人島にでも住まない限り、誰もこの「条件」からは逃れられないのだ。 他方、 「取り込まれた者」は、前述したようにメディアの新しさに目を奪われ、分析を放棄している。 エーコの立場は、単著ではないため、これまで言及していなかったが、電子書籍時代に本はどうなるか、というテーマの書籍(「本は、これから」)を編んだ池澤夏樹に近いものがある。池澤は、自分はワープロで書いた最初の芥川賞作家だったとして、本はとっくに「電子化」しており、人々は知識の多くをネット経由で得るようになった。電子書籍はそうした動きの「一つの段階でしかない」 。 ともあれ、エーコはこうした分析を踏まえた上で、文化の研究は次の二つに取り組むべきだ、と論じる。第一に、起きている現象を分析的に記述すること、第二に、それらを歴史の明かりに照らして解釈すること。ただしその際、いいものとわるいものを区別する明快な基準はないと見極めることが大事だとも指摘する。 さらにエーコは、知識人の役割は、機械化産業への対処法を考えるのと同じものである必要がある、と述べる。人間は機械から自由になることはできないが、機械との関係において自由になることはできる、と。すなわち、機械に使われるのではなく、機械を使いこなすにはどうしたらよいか、というふうに問題を立てる、というわけだ。 こうしたスタンスを電子書籍に関連づけて考えると、次のようなことがいえる。 「ネオフォビア」に目を曇らされずに、歴史の中で電子書籍を考えること、その際、 「電子書籍」という現象を受け身で捉えるのではなく、 「電子書籍」という現象をどのようにコントロールしたら、人々の生活がより豊かになるか、と問題を立てること。 電子書籍を過去のメディア受容史の中に位置づけると、電子書籍論は、上のような視点から、 「次の段階」へと進む必要があるのではないか、と考えられる。 では「次の段階」とはどんなものになるのだろうか。それを次項で考えてみたい。 13
  14. 14. 【「融解するメディア」のための研究手法】 前項で瞥見したように、ラジオ、テレビ等、過去の電子メディアの受容過程において提起された論点の多くが、電子書籍の議論においても繰り返されており、一定の平行関係が見られる。しかし、スマートデバイス(小型で多機能な情報端末。スマートフォンやタブレット端末の総称)の登場により加速されたメディア融合(convergence)は、メディアの、そしてメディア論の境界をも不分明にしており、そのことが、電子書籍論に、従来の出版学やメディア研究になかった新しい視点を要求している。 このことをもう尐し詳しく見てみよう。「ナレッジ・ナビゲーター」という形で現在のスマートメディアの時代を予見していた Apple 社の元 CEO、ジョン・スカリーは、デジタル技術のもたらすメディア融合のビジョンを示しており、この問題を考えるうえで重要な気づきを与えてくれる。下記はスカリーが 1997 年、スタンフォード大学で行ったプレゼンテーションを、発表(図7) スカリーの「メディア融合」像 14
  15. 15. 者による視点から整理したものである(赤線は発表者による) 。 縦軸は「製品」を生み出す産業であるか、 「サービス」を生み出す産業であるか、という軸である。それに対して横軸は、メッセージや情報の「コンテナ(入れ物) 」を作る産業であるか、 「コンテント(中身) 」を作る産業であるか、という分類である。 楕円で色分けされた各種産業は、主に技術的な理由により、お互いにセグメント化(棲み分け)されてきた。たとえば、印刷機械や物流ネットワークに膨大な設備投資を必要とする新聞業界に、他産業から新規参入することは容易ではなかったし、出版や映画、音楽産業についても似たようなことが言える。図の右下の「エンターテインメント・メディア・出版」産業領域は、従来このような厚い「壁」に守られてきたのである。 しかし、デジタル技術の発展により、またネット(ウェブ)というコンテンツ流通の新しい経路が生まれたことにより、この「壁」は現在、融解しつつある。その結果、他産業からの参入が相次いでいる。テクノロジーの「融合」がメディアの「融合」をもたらしていることの結果として現れている現象の一つが、電子書籍なのである。 メディア産業と他の産業の境目が曖昧(blur)になっているということは、独立した学問分野としての従来の出版学、メディア論等々がこれまで扱ってこなかった視点が必要となる、ということでもある。 言い換えると、出版学・メディア論が、 「出版」や「メディア」を主語とした研究から、広く「情報」や「コンテンツ」を扱うすべての産業を主語とした研究へと脱皮することを迫られている、ということでもある。 必要とされる視点を、仮に5つのカテゴリーにまとめてみるとすると、以下の図のようになるのではないか。 15
  16. 16. (図8)電子書籍論に必要と考えられる5つの次元管見では、これまでの出版学・メディア研究は主に1、2(や、それに準ずるもの 16
  17. 17. として4)の領域に関わってきた。従来、出版産業において、出版に関わるアクターが、それぞれどんな問題関心を持っていたかをまとめると、以下の図9のようになると考えられる。(図9)出版産業のアクターとこれまでの関心領域「○」「×」はそれぞれに分野の問題に関心を払ってきたことを示し、「?」は不明であることを示す。 この関心のあり方は、旧来の出版業界における分業と深く結びついていたと考えられる。たとえば、編集者は、コンテンツとしての書籍の制作には関心を払ってはいても、販売された本の代金が、書店からどのようなタイミングでどのような条件で取次を通じ、出版社に支払われるのか、などには無頓着であった。これは取次による流通システムが確立していており、定価販売であり、カネの流れについては、取次に任せられる環境があるからこそ可能だった。 ところが電子書籍(電子出版)の世界では、アプリとして出版するのか、それとも 17
  18. 18. コンテンツとして売るのか、プラットフォームはどこか、取次を通じて販売するのか、またはストアと直接契約して売るのか、などによって取引条件は異なり、価格も、キャンペーンなどで変動させることが普通に実施されている。 これにより、編集者も販売の仕組みやカネの流れに注意を払うことが必要になる。よいコンテンツだけを作っていればいい、というわけにはいかないのである。 電子書籍の普及は、単に本というメディアの物理的な成り立ちが紙から電子に置き換わるということを意味するだけではなく、関連するアクターの役割の変革、別の見方をすれば従来のアクターの担っていた領域の相互混交、それらを通じた産業全体の変化をも要求する。 そのため、それを研究する側も、従来の枠組みから離れ、出版に関わるあらゆる領域をまたがって現象を見ることが必要となると考えられる。 図8の5つの次元をバランスよくカバーした出版学・メディア論が必要とされるゆえんである。【参考文献】David, N. (2012) Former Apple CEO John Sculley cruises CES, recalls Newton’s impact on the mobile industry and the iPad | TabTimes [Internet]. Available from: <http://tabtimes.com/news/ittech-tablets/2012/01/13/former-apple-ceo-joh n-sculley-cruises-ces-recalls-newton-impact> [Accessed 18 May 2012].Eco, U. & Lumley, R. (1994) Apocalypse postponed. Indiana University Press.Eco, U., Carrière, J.C. &工藤妙子(2010) もうすぐ絶滅するという紙の書物について. 阪急コミュニケーションズ.Enzensberger, H.M. &石黒英男(1977) 意識産業 ET - 新版. 晶文社.Enzensberger, H.M., 中野孝次&大久保健治(1975) メディア論のための積木箱. 河出 書房新社.Gordon, R. (2003) Convergence Defined [Internet]. Available from: 18
  19. 19. <http://www.ojr.org/ojr/business/1068686368.php> [Accessed 18 May 2012]. :Horkheimer, M., Adorno, T.W. (1990) 啓蒙の弁証法  哲学的断想. 岩波書店.Mattelart (1998) Theories of communication  a short introduction. SAGE : Publication. :Sanders(1998) 本が死ぬところ暴力が生まれる  電子メディア時代における人間性 の崩壊. 新曜社.Shepard(2010) 私にはもう出版社はいらない  キンドル・POD・セルフパブリッシ : ングでベストセラーを作る方法. WAVE 出版.Yoffie, D. (1997) Competing in the Age of Digital Convergence. Harvard Business Press.池澤夏樹(2010) 本は、これから. 岩波書店. :植村八潮(2010) 電子出版の構図  実体のない書物の行方. 印刷学会出版部.歌田明宏(2010) 電子書籍の時代は本当に来るのか. 筑摩書房.大原ケイ(2010) ルポ電子書籍大国アメリカ. アスキー・メディアワークス. :岸博幸(2011) アマゾン、アップルが日本を蝕む  電子書籍とネット帝国主義. PHP 研究所. :酒井邦嘉(2011) 脳を創る読書  なぜ「紙の本」が人にとって必要なのか. 実業之日本 社.佐々木俊尚(2010) 電子書籍の衝撃  本はいかに崩壊し、いかに復活するか?ディスカ : ヴァー・トゥエンティワン.田代真人(2010) 電子書籍元年  iPad &キンドルで本と出版業界は激変するか ?イン : プレスジャパン.立入勝義(2011) 電子出版の未来図. PHP 研究所. :津野海太郎(2010) 電子本をバカにするなかれ  書物史の第三の革命. 国書刊行会.中西秀彦(2010) 我、電子書籍の抵抗勢力たらんと欲す. 印刷学会出版部. :西田宗千佳(2010) 電子書籍革命の真実  未来の本本のミライ. エンターブレイン. 19
  20. 20. 萩野正昭(2010) 電子書籍奮戦記. 新潮社.橋本良明 (2011) メディアと日本人. 岩波新書.日垣隆(2011) 電子書籍を日本一売ってみたけれど、やっぱり紙の本が好き。. 講談社.前田塁(2010) 紙の本が亡びるとき?青土社.村瀬拓男(2010) 電子書籍の真実. 毎日コミュニケーションズ. :山田順(2011) 出版大崩壊  電子書籍の罠. 文藝春秋. 20

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