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ローカルエリアスポット紹介(観光?)

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ローカルエリアスポット紹介(観光?)

  1. 1. ローカルエリアスポット 紹介 @totty_jp
  2. 2. 諫早市 • 正式名称 • 長崎県諫早市 • 面積 • 321.23㎢ • 人口 • 140,870人(2010年5月1日) • 概要 • 長崎県の中央部にある市。 • 九州では、第12位の人口を有する都市。
  3. 3. • 特産品 • すっぽん料理 • うなぎ • 企業 • たらみ(ゼリー) • 福砂屋(かすてら) • 観光名所 • 轟渓谷(名水百選) • 白木原高原 • 諫早公園の眼鏡橋 有名かもしれないモノ フルーツバス停 たらみ図書館 富川万年の森 眼鏡橋
  4. 4. 眼鏡橋 • 眼鏡橋というのは、本来は、石造の2連アーチ 橋を指し、水面に映る橋の姿が眼鏡に見えるこ とが、由来とされています。 • コンクリートの橋に架け替えられたり、洪水の 際に川の水をせき止めて氾濫の原因になるとし て、解体・撤去がなされ、全国的に数が減って います。
  5. 5. 長崎市の眼鏡橋 • 最も有名な眼鏡橋。 • 日本初の石造りの橋と言われています。
  6. 6. 諫早市の眼鏡橋 • 橋の長さ • 49.25メートル(長崎市の約2倍) • 幅 • 5.5メートル • 石の数 • 約2800個
  7. 7. 諫早眼鏡橋の歴史 • 由緒ある諫早の眼鏡橋を紹介します。
  8. 8. 諫早の人々の決意 • 江戸時代 • 諫早の中心を流れる本明川は毎年のように氾濫し、川にかけてあっ た橋もその大洪水のたびに破損または流失していました。このた め、人々は川のあちこちに飛び石を並べてそれを渡ったりするな どとても不便な生活をしていました。 • 人が安心して渡れ、どんな大洪水にあっても微動だにしない「永久 不壊の石橋」を造ろうということになりました。 • 「力のあるものは力を、物のあるものは物を、金のあるものは金 を」を合言葉にこの大工事に取り組みました。経費は当時のお金 で銀三千貫といわれ、領主から下げ渡されたお金以外はすべて諫 早の人々の募金や僧侶の托鉢などで集められました。
  9. 9. 眼鏡橋の完成 • 1839年(天保10年) • こうして人々が一致協力した結果、着工後約1年半 というスピードで諫早の眼鏡橋が完成したのです。 • 水害でも流されない頑丈な橋を目指した結 果、毎年のように氾濫していた本明川に架 けられた石橋は、以後一度も流出すること はありませんでした。
  10. 10. 諫早大水害 • 1957年(昭和32年) • この年、諫早地方をおそった記録的な集中豪雨により、本明川をはじめ付 近の川は、ほとんど氾濫しました。 上流では山津波がいたるところで起こ り、土石流は多くの田畑を岩石で埋めつくし、一瞬にして多くの住居と人々 をのみこみ、下流では大洪水をもたらす未曾有の惨状となりました。 • 本明川を中心に形成された市街地は水没し、 いたるところに泥土と流木の 山をつくり、空き地には流れた家や家財が堆積して足の踏み場もないほど になりました。そしてこの災害の結果、死者・行方不明630人もの犠牲 者がでました。 • しかし眼鏡橋は、欄干の一部の損傷だけでした。その頑丈さゆえに眼鏡橋 が塞き止めた流木や瓦礫が水の流れを変え、市街地への被害を拡大させた とも言われていました。
  11. 11. 眼鏡橋の取り壊し • 水害復興が進む中、本明川は国が管理する一級河 川に指定され、建設省によって大幅な改修工事が 行われました。 • そして、川幅の拡張に伴い水害の被害拡大の原因 ともいわれていたこの眼鏡橋は爆破されることに なっていました。 • ちょうど、芸術的にも土木工学的にも価値高いも のとして識者から評価されていた矢先のことです。
  12. 12. • 1958年(昭和33年) • 当時の諫早市長は眼鏡橋爆破に反対し、文化財としての保存を提 案しました。 • しかし、被害を受けた地域住民や議会は「市は全滅し復興資金さ え底を突いているのに、何千万も出して移設するとは何事か!」 と反対しました。 • それでも諫早市長は「50年後の孫子の代を考えれば市の象徴で ある眼鏡橋保存が大事」と中央の政治家に働き掛けつづけました。 • そしてついに、日本の石橋としては初めて国の重要文化財に指定 されました。 重要文化財への指定
  13. 13. 眼鏡橋の移設 • 1959年(昭和34年) • 移設を余儀なくされ、前例のない移設復元作業の為、石 材の数も形も全く同じ1/5スケールの模型を作りまし た。 • そして、そこから得たデータを最大限に利用し、本明川 から、諫早公園内への移設復元を完璧に成功させました。 • なお、この模型は、眼鏡橋移築後、その出来のすばらし さの為、文化財に準じた扱いで、埼玉県のユネスコ村に 残されることとなりました。
  14. 14. 永久不壊の諫早の眼鏡橋 • そして現在も、日本の重要文化財である、諫早 の眼鏡橋は、諫早公園で眺めることができます。 • なお、橋に階段があり、中央が下がっている本 当の眼鏡橋の形は、日本ではここだけと言われ ています。 • 当時の歴史の重みを感じることができる石橋を、 ぜひ見に行ってみてください。
  15. 15. • ちなみに、水害のあった翌年から 毎年7月25 日には、本明川河川敷や諫早公園を会場に犠牲 者慰霊の諫早・川まつりが開かれているので、 その日に併せて行くのも良いかもしれません。 慰霊の川まつり
  16. 16. 最後に • 運が良ければ、川まつりでは、さらに、 こんなレアなものも見れるかもしれませ ん。

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