クリス・ガンディー「日本のビール大企業の歴史と社会的影響1. 日本のビール大企業の歴史と社会的影響
クリストファー・ショーン・ガンディー(米国)
目次
はじめに
第 1 章 歴史
第 1 節 明治時代における始まり
第 2 節 キリンの始まり
第 3 節 大日本の始まり
第 4 節 大正時代
第 2 章 大きい日本
第 1 節 財閥を支持したカルテル
第 2 節 太平洋戦争以前の政府と法律
第 3 節 日本酒の衰退
第 3 章 戦後のビール
第 1 節 クラフトビールへの回帰と第 3 のビールの興隆
第 4 章 消費者について
第 1 節 ビールバーでの店主の方へのインタビュー
おわりに
注
参考文献
10. この頃、大日本の馬越が病気になった。死去する前、彼はキリンと対等に対
立するという厳粛な約束(固い約束)をした。これは実行された。これを実行
する前に、日本ビール協会が計画していた、小さな醸造所との望ましい合併が
あった。彼が死去した後、三菱銀行の加藤武男社長は合併交渉を仲介した。46
加藤武男と商工業大臣の中島久万吉は 1933 年7月 21 日に協定をまとめた。政
府は合併を認め、7 月 19 日に実行された。47
政府と三菱のビール産業への参加
はこの点ではあくどくなった。これにて、たった3つの主要のビール会社が残
った。さくらは直に似たようなターゲットになった。
キリンとの正式なビールカルテルを作るための大日本の協定は、大日本が日
本ビール協会を乗っ取った後、本当のきっかけであった。カルテルは既に日本
製鉄、繊維業、銀行そして機械業の間にて存在していた。48
彼らがビールの巨
大ビジネスの成長の方法を見つけ出したのは驚くべきことではない。
大日本はキリンに包括的なビール販売協定(麦酒共同販売契約)を結ぶ事を
提案した。これは新たな販売業者、ビール会社協会、によって支援された。カ
ルテルの次の目的は、残っている醸造所、つまりさくらと寿屋を乗っ取る事で
ある。49
マーケットシェア協定は以下である。
1. 各々の会社は2百万円を共同ビール販売会社の設立に投資する。
2. 両社はすべてのビールを新しい会社を通じて販売する。
3. すべての広告は販売会社から行い、そしてすべての配送に関する支出は両
社で支払う。
4. 生産量は各々の会社の売上高に基づく。大日本は 70.12%、キリンは 29.08%。
5. もし生産量が超過した場合、賠償は他の関係者に支払われる。
6. 営業や営業網、注文、特別提携店などの実際的なビジネスは各々の会社に
て取り扱う。
7. 協定期間中、新施設建設や改良を無断で実行はできない。
8. 上記は海外の工場でも同様である。
9. 本協定は5年間は有効である。50
カルテルは設立され、そして間もなく、寿屋は東京ビール会社と認知される。
大日本が東京ビール会社のシェアをすべて取得した途端に、共同ビール販売会
社に変わったたま、それは長く続かなかった。契約された通り、会社は 70 対
30(大日本/キリン)の率で保持した。51
このカルテルが設立したと同時に、他の飲食生産者よりも多くの分け前があ
る、特別契約販売網(特約販売網)を立ち上げた。特約店は 1933 年の 212 店
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11. 舗から 1938 年の 499 店舗になった。醸造所がスポンサーとなったカフェやバ
ーも参入した。52
ビールは継続して成長するだろう、通常の大規模な販売拠点
を誘致し始めていた。
ついに、1935 年にさくらビールは大日本は、ほとんど上記で述べたキリン
との協定と同じ内容の、協定を結んだ。これにより、さくらビールは新しい販
売会社経由で販売され、年間100万ボックスのビール販売が認められた。も
しこれに満たない場合は、キリンと大日本が所有している共同ビール販売会社
は、さくらビールに弁償を支払うことになった。53
マーケットシェアの決定は
競合を停止させ、拒否できない状況に陥らせた。54
このときにはもう、キリン
と大日本が頂点に立っていた。政府が産業を支配するようになった後、さくら
は 1942 年に大日本に合併を強いられたときに廃業した。55
キリンと大日本が作り上げたグループは日本におけるビールの新時代を先
導をした。三菱財閥はキリン、三井、大日本と強固な関係となった。56
財閥は
産業の販売支援の大きな役割を果たしたが、彼らのみであったのか?
第 2 節 太平洋戦争以前の政府と法律
明治時代から政府は、既に成長戦略の一環として食品産業に興味を持ってい
た。西洋の飲食文化を取り入れることによって、政府の目的は当時の先進国と
結んだ不平等条約の条約改正であった57
。上述したとおり、政府の企画は企業
を立ち上げることであった。従って、サッポロビール株式会社を設立した。設
立の一つの理由が安全確保であった58
。その安全を確保するための最も有利な
方法は新しい税金の創設であった。
1894 年の条約改正の後、政府は直ちに輸入税を引き上げなかったものの、
1897 年に法律第 14 条として知られる特定で輸入ビールの輸入税を 25%まで引
き上げた。しかしながらビールの普及のため、認知度の低いその他のアルコー
ル類には輸入税の引き上げが適応されなかった59
。つまり、産業が成熟した後、
政府がその権利を握り始めた。
更に、政府は 1901 年と 1904 年に国産ビール製造税を引き上げた。但し、引
き上げは非常に厳しかったため、税金に見合う生産が不可能な国内の中小ビー
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13. 間で人気を保っていた。69
ビール市場は、次第にと日本酒市場に取って代わっていった。ビールが話題
になり始めた 1922 年、日本酒は依然として主なアルコール飲料ではあったも
のの、日本酒とビールの生産比率はすでに7:1割となっていた。その後、1920
年代の終わりから 1930 年代へ突入する頃、生活水準の向上とともにビールの
消費率はあがった。70
しかし、それは、消費者がビールを好んだからではな
く、多くの米が軍の食料として必要となり、政府が 1937 年までに日本酒の減
産を始めたからだと言われる。残った数少ない日本酒が消費者のビール志向に
歯止めをかける一方でビールの生産量は増加していた。71
国家総動員法が施
行された 1938 年には、政府は日本酒の生産を停止し、ビール市場は確固たる
ものとなり、多くの江戸時代からの日本酒醸造者に大きな打撃を与えた。72
その際、半分近くの日本酒醸造者が転業や廃業を余儀なくされた一方で、ビ
ール醸造者は手厚く保護された。73
ビールは酒税を回収することができたし、
前述したように原料は食料として必要とされていなかったためである。戦争後
終結後、戻ってきた日本酒産業にかつての輝きはなかった。
1955 年から 1964 にかけてのビール生産高は 40 万キロリットルから 199 万キ
ロリットルに上った。1955 年、日本酒が市場の 36.9%を占める一方、ビール
は 29.3%にとどまっていたものの、1959 年にはこれらの数字が逆転、1964 年
には日本酒が 34.6%なのに対し、ビールは 53.9%を占めた。朝日ネンカンに
よると、生活水準の向上、女性消費者の増加、消費者のアルコール飲料におけ
る好みの変化、一般家庭での暖房器具の普及がビール産業の急激な成長の理由
として考えられている。74
政府は日本酒の醸造所を閉鎖せず、戦争時代にビール産業を推し進めた。ビ
ールがそれまでに日本酒に取って代わるべきだったかどうかは議論を呼ぶほ
どだ。ビールは長い間身近な飲料ではあるが、その普及率は大幅に増えた。政
府は日本酒、ビール両方に関わり、どちらかだけを無視することはできなかっ
た。今日では、日本酒の消費率は低い。75
阿部内閣総理大臣の推進するクー
ルジャパンの一貫として、日本主産業が再び日の目を浴びるかもしれないが、
今のところは、まるで日本酒が人気を博した頃のビールほどの人気しかない。
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75 http://www.japantimes.co.jp/life/2007/04/13/food/what -the-japanese-are-drinking/#.U8KIBfmSz 0
d
76http://www.nytimes.com/2014/02/22/business/interna tional/in-sake-japan-sees-a-potential-stimul
14. 第 3 章 戦後のビール
本物のビールの競争は 1940 年代中盤に無くなった。この間、ビール会社は
促販キャンペーンや広告に出費する必要が無く、固定的な利益が保証されてい
た。77
わずか数種類のビールが存在し、日本酒はしばしばマーケットから無
くなった。さらに、財務省の、ビールのレシピ、製造、税率などを規制する動
きは日本に現存していた Brewers に、戦時中よりもはるかに広範囲に、深い印
象を与えた。78
財務省は醸造免許を発行し、その後 50 年間、3 つの会社し
かビール産業に参入できなかった。79
1945 年から 49 年の間、財務省は利用可能な大麦の 74.5%を大日本に、25.5%
をキリンに割り当てた。この決定によってビールのシェアは、戦前に決められ
たのと同じ水準に効果的に修正された。80
さらに、財務省はビールの配送を
Beer Distribution Control Co. の管理下に置き、81
これにより 2 つの会社
と 1962 年に参入しサントリーは完全にビールのマーケットを占有するように
なった。82
独占禁止法として知られている法律 207 の発行の下、大日本は解体されるべ
き企業の一つであったが、83
後継者はこれを予期し、先を見越して企業を 2
分割する84
という対策を打っていたため、名前は変わったものの、サッポロと
アサヒとなった。85
この頃には、ビールはブランド化しており、三菱はキリンを、三井はサッポ
ロを、住友はアサヒを排他的に飲んだ。また、住友は 1960 年代に起こり得た
企業買収から保護するためにアサヒの株式を取得している。サッポロはこの間
にビールが大衆的な飲み物になったと述べている。86
ビールのブランドは、
プロフェッショナルな独自性と友好関係を示す強いシンボルとなった。1960
年からは、ビールは日本酒に影を落とし、隅に追いやり続けた。87
政府はその価格決定システムを 1964 年 9 月 1 日まで維持し続け、その後、
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15. ビール会社は価格決定権を取り戻した。88
この頃までに、キリンは他社に影
を落とし、競合他社との価格競争ができるようになった。1980 年代中盤まで
には、キリンはマーケットの 60%のシェアを獲得し、サッポロは 20%、アサ
ヒが 11%、そしてサントリーが 7%であった。海外のビールは、事実上、大都
市の高級ホテル以外では飲むことができなかった。89
占有を理由としたカルテルの解体にもかかわらず、ビール会社と政府の癒着
はすぐに元に戻った。財務省は 4 つのビールの大企業の規制としての役割をし、
免許のない国内の競合他社が市場に参入できないようにした。これによって、
小売価格はほとんど 30 年間維持されている。さらに、海外からの輸入品から
の保護を目的として、世界平均の 4 倍の値段がするにもかかわらず、国産の大
麦が使用されるようになった。この協定は、GATT に触れる可能性があったた
め、毎年見直され、記録されることはなかった。90
しかしこれは、消費者がビール会社のカルテルと、それによって固定された
価格に不満を持つようになったため、変更された。固定価格に対して、主要な
小売業者が家庭にビールの値下げを提供し始めた。
第 1 節 クラフトビールへの回帰と第 3 のビールの興隆
これらの抵抗のため、財務省はついに、ビール製造免許に必要な最小生産量
を 60kL に引き下げることで、ビールのマーケットを競合他社に開いた。これ
は、地ビール産業を復活させ、ゆっくりと社会に再興し始めた。91
しかしな
がら、大企業のシェアに穴をあけるほどのシェアは未だ獲得できていない。
2000 年代初頭の最も高かった時で、クラフトビールのシェアは 5%程度である。
92
この期間、大企業は驚くほどシェアを落としているが、これはクラフトビ
ールのせいではなく、新しい種類、発泡酒と呼ばれるより軽口の飲料や、1990
年代中盤に出現した第 3 のビールによるものである。93
発泡酒と第 3 のビールは、日本のアルコール飲料の成長傾向のとても興味深
い点を示している。アサヒによってスーパードライが発売されて以来、太平洋
戦争下のドイツビールのような味からはかけ離れ、ますます軽口で風味のない
ものになっていった。今では、発泡酒と第 3 のビールは、高い酒税を逃れるた
め、麦芽を 25%以下に抑えて製造されている。驚くべきことに、これらのア
ルコール飲料は、大企業に牽引され、2001 年の売り上げは、国内のビール市
場の 30%を占めている。2005 年には、40%まで増加している。もちろん、そ
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17. さんあり、ビールを手にするようになった。これにより、ビアホールでビール
を飲む女性を目にするようになり、ビール会社は彼女たちをターゲットにし始
めた。103
1970 年代半ばまでに女性はテレビでのドラマやコマーシャルなど
で、さらによくビールを飲むようになり、日本におけるアルコール中毒が増加
した。104
1982 年、三菱経済研究所の調査によると、日本人男性の 85 パーセ
ント、日本人女性の 60 パーセントが定期的にビールを飲んでいた。戦後から
の大きな変化である。105
女性の飲酒の増加と共に、宣伝にハリソンフォードなどの俳優を使うように
なり、政府によって継続して援助を受けた企業の戦略に、ビールがそのような
商業的な存在になっていく傾向を見ることができる。106
第 1 節 ビールバーでの店主の方へのインタビュー
この調査が示していることを確認するために、そして彼の意見が合っている
か確かめるため に、実際 にある日本 人の方にイ ンタビュ ーした。エ ビスに
Hops125 と言う名のバーを持つイシグロタケシまたの名をグロさんである。
グロさんはクラフトビールのバーを経営しており、飲むのは、お金持ちの
人々だけだと言う。奇妙なことに、クラフトビールは、ビールが最初に出てき
たときにとてもよく似ている。政府によって課税され、輸入するのはとても赤
く、ビールの大企業は保護をうけている。これらの理由で、ビールは高いまま
なのである。
彼は、女性はクラフトビールを飲んでも、苦い味が好きにならず、それゆえ
軽い味のものを好む。このために、女性たちの間では、ビアバーでさえ、アサ
ヒスーパードライが常にメニューにありつづけ、日本人の間では人気の商品で
ある。女性も男性もそのシンプルな味が好きなのだ。
グロさんによると、10 年ほど前の男女雇用機会均等法の制定により、女性
の政治的権限はさらに強くなった。その後、女性も等しくスーパーで求めるよ
うになり、アサヒスーパードライは強くなった。彼は、女性はビールがさらに
軽くなった大きな理由であるという。
さらに、お金のある男性は、エビスのような強いビールや、IPAのような
苦いビールを好んでいる。そのうえ、若い人々は、彼らの収入ゆえに、安くて
アルコールの低いビールを選んでいる。女性により、またより重要なことに、
年齢と収入の格差により、なぜ発泡酒や第三のビールが日本や会で人気を獲得
しているのかの理由をみることができる。
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18. おわりに
ビールは人々に選ばれたのか、政府によってもたらされたのか。それについ
ては後に述べる。ビールは最初から、政府によって社会の上位層にもたらされ、
そしてつくられていた。産業が大きくなる 1901 年までに企業家が参入し、力
のあるものが続けることができた。
人々は本当に日本酒よりもビールのほうが好きなのだろうか。それに関して
は議論の余地があるが、ビールが、政府の助けがなければ国を代表するアルコ
ールになっていたかどうかについては明らかである。政府は約七年間に分かり
全ての日本酒工場をとめた。ただ二つの会社だけが財閥や政府によって支えら
れ、競争はなく、政府は、人々の市場のみならず、人々の好みをも独占するこ
とを許した。10 年も経たないうちに、市場はかわった。ひとたび人々がビー
ルを買えるようになると、また戦後女性が自由を手にするようになると、彼ら
はビールを、彼らの好みの軽いものに変えていった。
ビールが安く、軽いものになってしまったので、もはやかならずしもビール
に焦点を当てる必要はない。マーケティングがいまや大きな焦点であり、人々
はビールを、生産における質より、有名人や文化と結び付け始めている。
では、ビールは人々によって選ばれたのだろうか。私はそうは思わない。しか
し、いったんあたえられると、人々はそれを彼らの好みにあわせるのに苦労し
なかった。それにもかかわらず、最初は政府がそうしようとしたからであった。
人々はそれを気に入っただけだったのである。
参考文献
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Vancouver: UBC Press, 2013. Print.
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Craft, Lucy. "Jap anese Sake M akers Shake Off Tradition, Try Brewing Craft Beer." . NPR,
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Yang, Zhiy i, and Eric Pfanner. "In Sake, Jap an Sees a Potential Stimulus." The New York
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Phro, Preston. "These beer and cigarette poster from the M eiji and Showa p eriods will
confuse and enchant you!." RocketNews24 RSS. RocketNews24, 28 M ay 2014. Web. 1 July
2014.
<http ://en.rocketnews24.com/2014/05/28/these-beer-and-cigarette-p oster-from-the-meiji-an
d-showa-p eriods-with-confuse-and-enchant-y ou/>.