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R232★ 加藤恵美・いとうたけひこ・井上孝代(2018). 自死遺児の語りにおける自己開示・発見・リカバリーの過程:手記『自殺って言えなかった』のテキストマイニング分析 マクロ・カウンセリング研究, 11, 12-22.
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自死遺児の語りにおける自己開示・発見・リカバリーの過程
手記『自殺って言えなかった』のテキストマイニング分析
加藤恵美 いとうたけひこ 井上孝代
(静岡県立大学短期大学部) (和光大学) (明治学院大学)
キーワード:自死遺児、手記、スティグマ、自己開示―発見―回復(UDR-Peer)サイクル、
テキストマイニング
要約
2006 年に自殺対策基本法が施行され、自死が社会問題として認識されるようになったが、
自死遺児(以下遺児)への支援は緒についたばかりである。社会における自死へのスティグ
マは根強く、周囲の大人の対応によって、遺児はそれを内在化せざるを得ない環境に置かれ
ている。遺児の経済的支援と自助グループによる心のケアを行っているあしなが育英会で
活動する遺児たちが体験を綴った手記は、その内面を知る貴重な資料である。手記をテキス
トマイニングによる量的分析及び原文参照による質的分析した結果、セルフスティグマを
抱えながらも、仲間と支え合う場によってリカバリーの過程にあること、すなわち自己開示
―発見―回復(UDR-Peer)サイクルを見出すことができた。
Ⅰ 問題と目的
2001 年 12 月 3 日、10 人の自死遺児(以下遺児)たちが首相官邸を訪れ、「自殺防止の提
言」を陳情した。その日、7 人の遺児が実名を公表、顔も隠さずに記者発表に臨んだ(自死
遺児編集委員会・あしなが育英会,2005:264)1
。この後、2006 年に自殺対策基本法が施行
され、2007 年に策定された自殺総合対策大綱(内閣府, 2007)では、自死遺族支援が重点
課題として明記され、厚生労働省(2017)にも引き続いている重点施策である。これらの施策
は、自死が社会全体で解決すべき問題であることを認識させる大きな推進力のひとつにな
ったと言える。伊藤(2010)は自死遺族のリカバリー過程の複雑性を指摘した。伊藤・井上
(2011)ではカウンセリングと並び自助グループ参加を多様なリカバリー過程の契機として
指摘している。
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手記『自殺って言えなかった』(2005)は 2002 年の単行本に加筆・訂正したものである。本
文中多数引用するため、以後引用文献表記において、編者名を省略する。たとえば、同手記 1
頁を引用した場合は、(2005:1)とすることとする。
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2.あしなが育英会と自死遺児の手記『自殺って言えなかった。』の概要
高橋ら(2015)によると、1950 年代後半以降の交通事故死者の急増に対し、1969 年、高
校生の交通遺児を対象とした奨学金貸与事業を行う財団法人交通遺児育英会が設立された。
その後、1988 年に災害遺児への奨学金貸与事業を行う任意団体、さらに翌 1989 年に病気
遺児支援を行う任意団体が発足し、1993 年にこれら 2 つの団体が合併してあしなが育英会
が設立され、交通遺児以外の高校生と大学生を対象とした奨学金貸与事業が始まった。
あしなが育英会は、阪神淡路大震災による遺児の把握と、彼らの心のケアを目的としたピ
アサポートプログラム「つどい」を開催した。そして、1998 年以降の自死者数増加に対し
て、遺児支援も始まった。前述のとおり、国政に自殺防止策を提言したあしなが育英会で活
動する遺児たちは、その前年 2000 年に、自死遺児としての体験を綴り、文集『自殺って言
えない』を発行した。文集は、大きな反響を呼び、12 万冊を自家制作(2005:317)するま
でになった。さらに、「小冊子を出してからの(中略)変化していく心を書き、今も苦しむ
遺児や母に希望の火を灯す本にしたい」(2005:315)と、単行本『自殺って言えなかった。』
(2002)を出版し、文庫本(2005)にもなった。
文集のタイトル『自殺って言えない』は、親の自殺を言葉にすることが難しい心境が、現
在進行形であることを示している。しかし、単行本のそれは『自殺って言えなかった』と過
去形になっており、彼らの心境の変化が見て取れる。
3.倫理的配慮
本書は、出版されている書籍であり、著作権に配慮した。すなわち著者の表現や言葉を改
変せず、引用部分を明示し、出典を明記した。
Ⅲ 結果
1.基本情報
自死遺児(以下遺児)が書いた文章の基本情報をみると、総行数は分析対象文章の総数を
表しており、18 編であった。一人当たりの文章の文字数を表す平均行長は 3594.6 文字。総
文数は 1683 文で、平均文長は 38.4 文字であった。内容語の延べ単語数は 13418 個で、単語
種別数 2505 個だった。
2.単語頻度解析
単語頻度分析(図 1)より、使用頻度の高い 10 単語は、「父」(481)、続いて「思う」(253)、
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「お父さん」(208)、「自殺」(191)、「自分」(157)、「人」(172)、「母」(135)、「いう」(112)、
「いる」(109)、「家」(84)であった(括弧内は使用頻度以下同じ)。「父」が 481 回と最も
多く書かれており、「お父さん」と足すと 689 回にもなる。18 編の著者である遺児たちすべ
てが、死別したのは父親であった。父親や自分について思うことが多く、周囲の人や遺され
た母親についての記述が多い。「家」は、自宅で父親が自死したケースが多いためであった。
図 1 単語頻度解析 (上位 20 語)
3.好評語・不評語に着目して(評判分析)
評判分析とは、「単語を係り受けする好評語(ポジティブなイメージを持つ単語)と不評
語(ネガティブなイメージを持つ単語)の頻度を抽出することで単語の評判を分析」(服部,
2010)することである。
名詞を対象に好評語と不評語を抽出した。好評語のランキングでは、「人」(28)、「父」
(13)、「人たち」(6)、「気持ち」(6)の順に頻度の多い単語があった。不評語のランキング
では、「父」(11)、「人」(10)、「ほんとう」(7)、「母」(6)であった。「母」が不評語の上位
になったのは、父の死を告げられたり、父の死後に泣き崩れ、動転する姿を見たり、父の死
について「このことは絶対に他人に言ってはいけない」などの、子どもにとって不安を感じ
させる言動があったことが考えられ、遺された親との関係が遺児に大きな影響を与えるこ
とが示唆された。
4.重要な単語の原文参照
この中で着目した上位 3 つの単語である「父」、「思う」、「自殺」は頻度が高いため、共通
の話題と考え、注目して原文参照を行った。逆に比較的語られなかった単語である「見る」、
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伊藤恵美・井上孝代(2011).自死遺族支援システムの選択をめぐる検討, 日本カウンセ
リング学会第44回大会プログラム,171.
伊藤恵美・いとうたけひこ・井上孝代 (2013).「自死遺族の手記とその分析方法に関する
考察:心的外傷後成長(PTG)に焦点を当てて」『静岡県立大学短期大学部研究紀
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内閣府(2007). 自殺総合対策大綱 (旧大綱)
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000131004.html
自死遺児文集編集委員会・あしなが育英会(編)(2000).『自殺って言えない:自死で遺
された子ども・妻の文集』,あしなが育英会.
自死遺児編集委員会・あしなが育英会編(2002/ 2005).『自殺って言えなかった』サン
マーク出版.
小平朋江・いとうたけひこ (2018). 「精神看護学教育におけるナラティブ教材の活用:
UDRサイクルの重要性とアクティブ・ラーニングへの可能性」 日本看護学教育学
会第 28 回学術集会 資料 パシフィコ横浜
https://www.itotakehiko.com/conferences-1/
厚生労働省(2017). 自殺総合対策大綱:誰も自殺に追い込まれることのない社会の実現を
目指して https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000131022.html
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文社会科学系Ⅱ』,62,157-165.
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検討から見えてきたこと」『東海学院大学紀要』,10,70-95.
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『グリーフケア:死別による悲嘆の援助』,メヂカルフレンド社.
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時岡新(2007).「資料・自分と、誰かのために:自死遺児たちの分かち合いの会の経験
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時岡新(2008).「資料・自分と、誰かのために:自死遺児たちの分かち合いの会の経験
から(下)」,『金城学院大学論集社会学編』,4(2),82-96.