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元々は土壌の生産性を学んでいたが、卒業後タンザニア、インドネシアで土壌と農業の様子を
見る機会を得て、開発の世界に入った。その後、これまで職務を通じて必要に迫られて関連の
分野を独学してきたものであり、今日の債務と貧困削減に関わる話は、いわゆる体系的な「開
発学」に沿ったものではないこと、そして個人の見解であることをお断りしておく。

債務問題自体は昔からあって、50 年代半ばにはすでにアルゼンチンを対象に債権国の集まり
であるパリクラブが繰り延べ(リファイナンス)をはじめていた。しかし繰り延べという措置を受け
ながらも、多くの途上国では開発資金の確保に苦しんできた。80 年代に債務問題はより深刻化
し構造調整が始まった。88 年からは削減オプションが導入され、その後も債権国側は削減比率
を高めて対応したが改善にはつながらず、多くの重債務国においては開発が停滞し、国民の生
活を維持することも困難な状況となった。

90 年代後半から開発コミュニティでは貧困削減がキーワードになり、債務問題は、貧困削減の
掛け声のもとで処理されることになった。80 年代後半から 90 年代にかけて、二国間債務が削
減オプションを通じて減少する一方で、多国間(国際機関)債務が手付かずで積みあがったこと
から、2000 年に向かって、批判の対象が従来の債権国から、世銀・IMF など国際機関へ移って
いたとの背景もある。世銀・IMF は、資源を持たない重債務国を HIPCsというカテゴリーでくくり、
債務国側の経済構造の改善への決意と引き換えに累積債務の削減に応じるという HIPCs イ
ニシャティブを開始した。

債務国側の「改善への決意」として、今回は、「貧困削減戦略」(PRSP)の作成を課したところが
80 年代の構造調整との違いということが言える。押し付けと批判を浴びた構造調整の際の教
訓を踏まえ、今回は、貧困から脱却する戦略を債務国自身が考え作成するというプロセスを経
た上で提出する、それに対して債権者側、そしてその出資者であるドナーが債権の放棄で応え
る、という構図となった。ストックベースの債権の放棄は、それまでの開発コミュニティの努力が、
少なからぬ国にあっては残念ながら成果を挙げられなかったということの象徴である。自分は、
HIPCsイニシャティブは、世銀・IMF の不良債権の処理のプログラムとしてはじまったものであり、
PRSP も、最終的には出資国の納税者に負担を転嫁することに他ならないマルチ債務の削減と
いう重い処理を正当化し、改善への最大限の梃子とするために課した宿題、という性格を持つ
と考える。

開発コミュニティは、大きな覚悟で踏み切ったこの債務削減というモメンタムを最大限に活かす
ために、HIPCsイニシャティブを単に多国間債務の処理に終わらせず、二国間援助のフォーラ
ムにおいても支持を得て、これまでの開発の停滞を切り抜けるきっかけとすることを図った。そ
れがこの数年の動きである。G8 の合意により、二国間債権の 9 割を削減、さらに残り 1 割もボ
ランタリーに削減する流れとなり、他のドナー諸国も同様の寛大な措置を取った。

枠組みについては、このように足並みをそろえることができたが、肝心の問題は、債務の削減を
本当に開発への再出発につなげられるか、貧困の削減につなげられるかどうかである。第一サ
イクルの PRSP の多くはどれも似たようなものであり、国名を取り替えるとどこでも使えそうなも
のだった。その理由は、だれも、個々の国の貧困をなくす方法を見出していなかったから、であ
ると思う。債権の棒引きという英断の正当化のための宿題を期限までに作成しなければならな
い設定のなかで、仕方のないことだったと考える。ただ、「戦略」と呼びながらも、その道筋を書
き上げた文書なのではない、開発コミュニティも答えを持っていたわけではない、という現実は
認識しておく必要があるだろう。


PRSP の実体は何であろうか。「貧困」を「削減」する「戦略」という形を取っているが、実際の内
容は貧困層への予算配分(Pro-poor budget)を手厚くすることが書かれている。これまでに多く
の国で、国家計画が目立つインフラの整備などをハイライトすることに偏る反面、結局目指すと
ころの個々の人々の生活をどのように改善するか、の視点が欠落していたとの反省に基づけば、
なにはともあれ、pro-poor budget とすることに各国共通で重点をおいたことは、画期的であると
いえる。同時に、PRSP は、中期財政見通しと対になっており、多くの国家計画で「事業」と中期
的財政とのリンクが断絶していたことへの反省が活かされている点も注目された。

一方で、「貧困層むけ予算の増大」の次に来るべき「貧困層を削減」するための道筋、そしてそ
れを可能にする財源を確保する道筋は、特に初期の PRSP には触れられていない。初等教育、
基礎医療への予算配分の増大が実現すれば貧困が削減するとは PRSP 自体が述べていない
し、その予算措置を持続的に可能にするための方策も述べていない(筆者注:HIPCs・拡大
HIPCsにより長期に生じる財政上の savings が前提の一つにはなっているが、explicitly な条件
付けではない)。そもそも、配分された予算を使って、所用の事業をどのように効果的に立案し、
実行するか、その機能そのものが、引き続き問題なのであった。ただ、PRSP は進化を遂げる文
書であり、ベトナムの PRSP や、アフリカ諸国についても第二サイクルの PRSP においては、成
長ファクターを盛り込んだものがでてきている。当然、次には成長を貧困削減にリンクさせること
ができるかどうかが課題となっていく。

こうした認識の上で現地で観察してみると、PRSP の紙そのもの価値は疑問、しかし、この
PRSP の作成過程にこそ価値がある、そしてこれは開発コミュニティが総意で支えるに値する、
というのが自分の評価である。役所間の意思疎通、市民社会などのステークホルダーの意見
聴取がその作成プロセスで課されていることもあり、第二回目のサイクルではよりそうした自主
性をもった取り組みは進展している。当初、オーナーシップは途上国側にある、といいながらも
結局世銀のコンサルタントが、後日承認されやすいようにキーワードを盛り込んで書いているで
はないか、などといった類の批判があったのも事実ではあるが、少しづつ経験を積み自分たち
でまとめるプロセスとなってきており、長い眼でみれば大きな意義があったと考える。

ガーナでの観察を例に、具体的に何が起きたかを紹介する。これまでは、各省が各セクターに
ついて関心のあるドナーと話をして、各省とドナーがプロジェクト毎に一対一の取引をしていた。
一つの省内ですら、省内の各担当部局が、その特定の事項に関心のあるドナーと話を進めてし
まうということが生じていた。省庁がセクター政策に照らして優先順位を付して予算要求を提出
する、財務省は集まった要求を優先政策に照らして査定する、というプロセスが踏まれていない
ことで、国として当然あるべき行政能力を高める機会が失われていたのである。セクターワイド
のアプローチは、ドナーが関心を持つ特定のセクターレベルでそのような欠陥を解消しようとの
試みが始まっていたものであるが、PRSP のプロセスはさらに進んで、セクターの垣根を越えて、
ガーナ政府とドナーグループと双方がそれぞれの役割において共同歩調をとるその機会を提
供した。オーナーシップも徐々に強化されている。第二サイクルの PRSP は、ドナー側の介入は
最小にとどめ、各層との対話もほとんど国内の人材で行った。(筆者注:一方で取りまとめの段
階での絞り込みは自前ではなかなか難しい、ある程度のガイアツは必要、という声があったの
も事実。) 結果はまだ分からないが、このプラクティスを積むことで状況は変わっていくと思う。


財政支援は、ガーナの場合、PRSP の実施(implementation)を支援するための資金ツール、と
いう位置づけで、世銀・英他のドナー間で開始された。具体的には、上述のように、行政として
あるべき機能を再建してもらうために、途上国政府が自分の手に財源を持ったうえで、その資
金を優先度に沿ってどう配分するか計画し、実施するという機会を与える、という、文字通り
PRSP の実施を促進するとの趣旨であると自分は理解している。ただし、一つのバスケットに資
金を入れる、というドナーからの資金の流れの変化の影響を、過大に評価してはならないだろう。
財政支援の効能と限界を見極めた上で利用することが大切だと考える。


ある国でうまくいっている開発の手法は簡単に他の国に当てはめられる訳ではない。それを前
提として、日本自身が経験した事例をお伝えしておきたい。
日本もかつては世銀の融資を受けた。そのプロジェクトの一つに、戦後の食糧増産政策の一環
として行われた北海道東北地方の泥炭地の開拓を支援する、機械化支援プロジェクトがある。
その一部、北海道の篠津泥炭地の土地改良に関わっていた恩師から聞いた話である。1950 年
代半ば、プロジェクト審査のために現地調査を行った世銀調査団は、土壌・気候のデータから、
土地改良後の使途として牧畜と小麦作を勧告した。これに対して日本側は、稲作を主張した。
データ上は、熱帯作物と一般にみなされている稲作ではなく、牧畜・小麦作が適していることは
明らかであったが、日本の農民・技術者は戦前から稲作の北限をあげるために努力し技術力も
充実し、また何より消費者も米を求めていたことから日本側は稲作を可能にする融資を求めた。
暗礁に乗り上げた後、最終的に調査団側が日本側の意志を尊重する形で稲作のための土地
改良に同意するとの決断に至ったという。

このエピソードで思うことは 2 点。一つは、外部からの支援を得るに当たって、何を達成するた
めに支援を求めるのか、自らの意志を持って、科学的な裏付けも用いてドナーと対話できてい
る国がどれだけあるだろうか。この意志と能力を引き出し支援するのが開発専門家の役割であ
ろう。もう一つは、人々が求めるものが何か、それを達成するためにどのような道を辿るのが適
切なのか、を判断するのは最終的には当事者でしかない。手伝える側に回った今、過去に学ぶ
というのであれば、自分たちは何を知っていて何を知らないのか謙虚に考えながら行動する、と
いうことであると思う。

(質疑応答の中から)
○各国にそれぞれの特色、伝統、ニーズがあるので、ある国で起こっている事を他国に単純に
当てはめる事は困難である。アジアの経験をアフリカに活かす、という気合はよし、ただ中身は
よく考える必要があるだろう。
○支援も、かつて、途上国の多くが単独政党により運営されていたり、権限を集中して握る指導
者により治められていた時代には、トップダウンの形式でもワークしたかもしれないが、いまや
曲がりなりにも選挙で政権が代わり、人々の声が反映されるようになった。そこでは、援助の内
容やプロセスに影響を受ける住民が主体となるやり方が必要とされる。現地ニーズに会うように
アプローチを修正できるかが、近年各ドナーがこぞって取り組んできた課題である。
○どのセクターにおいても、何をどう改善したいのか考えている人々を見いだし、対話すること
が重要になる。また現地住民がニーズを持っていても、思っていることを整理して表現できない
ことも多い。それを引き出すためのコミュニケータの仕事も大切である。その土地に住んでいる
人がベストと思っている事を引き出す能力は、開発に携わる者に求められる最低限必要な能力
であると思う。
○開発支援に関わるものとして、持っている知識や経験の限界を認識したうえで、虚心坦懐に
何をどうすればよいかを考えること、所属や守備範囲を超えてコミュニケーションをもてるネット
ワークを作ることは重要であると痛感している。

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  • 1. 元々は土壌の生産性を学んでいたが、卒業後タンザニア、インドネシアで土壌と農業の様子を 見る機会を得て、開発の世界に入った。その後、これまで職務を通じて必要に迫られて関連の 分野を独学してきたものであり、今日の債務と貧困削減に関わる話は、いわゆる体系的な「開 発学」に沿ったものではないこと、そして個人の見解であることをお断りしておく。 債務問題自体は昔からあって、50 年代半ばにはすでにアルゼンチンを対象に債権国の集まり であるパリクラブが繰り延べ(リファイナンス)をはじめていた。しかし繰り延べという措置を受け ながらも、多くの途上国では開発資金の確保に苦しんできた。80 年代に債務問題はより深刻化 し構造調整が始まった。88 年からは削減オプションが導入され、その後も債権国側は削減比率 を高めて対応したが改善にはつながらず、多くの重債務国においては開発が停滞し、国民の生 活を維持することも困難な状況となった。 90 年代後半から開発コミュニティでは貧困削減がキーワードになり、債務問題は、貧困削減の 掛け声のもとで処理されることになった。80 年代後半から 90 年代にかけて、二国間債務が削 減オプションを通じて減少する一方で、多国間(国際機関)債務が手付かずで積みあがったこと から、2000 年に向かって、批判の対象が従来の債権国から、世銀・IMF など国際機関へ移って いたとの背景もある。世銀・IMF は、資源を持たない重債務国を HIPCsというカテゴリーでくくり、 債務国側の経済構造の改善への決意と引き換えに累積債務の削減に応じるという HIPCs イ ニシャティブを開始した。 債務国側の「改善への決意」として、今回は、「貧困削減戦略」(PRSP)の作成を課したところが 80 年代の構造調整との違いということが言える。押し付けと批判を浴びた構造調整の際の教 訓を踏まえ、今回は、貧困から脱却する戦略を債務国自身が考え作成するというプロセスを経 た上で提出する、それに対して債権者側、そしてその出資者であるドナーが債権の放棄で応え る、という構図となった。ストックベースの債権の放棄は、それまでの開発コミュニティの努力が、 少なからぬ国にあっては残念ながら成果を挙げられなかったということの象徴である。自分は、 HIPCsイニシャティブは、世銀・IMF の不良債権の処理のプログラムとしてはじまったものであり、 PRSP も、最終的には出資国の納税者に負担を転嫁することに他ならないマルチ債務の削減と いう重い処理を正当化し、改善への最大限の梃子とするために課した宿題、という性格を持つ と考える。 開発コミュニティは、大きな覚悟で踏み切ったこの債務削減というモメンタムを最大限に活かす ために、HIPCsイニシャティブを単に多国間債務の処理に終わらせず、二国間援助のフォーラ ムにおいても支持を得て、これまでの開発の停滞を切り抜けるきっかけとすることを図った。そ れがこの数年の動きである。G8 の合意により、二国間債権の 9 割を削減、さらに残り 1 割もボ ランタリーに削減する流れとなり、他のドナー諸国も同様の寛大な措置を取った。 枠組みについては、このように足並みをそろえることができたが、肝心の問題は、債務の削減を 本当に開発への再出発につなげられるか、貧困の削減につなげられるかどうかである。第一サ イクルの PRSP の多くはどれも似たようなものであり、国名を取り替えるとどこでも使えそうなも のだった。その理由は、だれも、個々の国の貧困をなくす方法を見出していなかったから、であ ると思う。債権の棒引きという英断の正当化のための宿題を期限までに作成しなければならな い設定のなかで、仕方のないことだったと考える。ただ、「戦略」と呼びながらも、その道筋を書 き上げた文書なのではない、開発コミュニティも答えを持っていたわけではない、という現実は 認識しておく必要があるだろう。 PRSP の実体は何であろうか。「貧困」を「削減」する「戦略」という形を取っているが、実際の内 容は貧困層への予算配分(Pro-poor budget)を手厚くすることが書かれている。これまでに多く の国で、国家計画が目立つインフラの整備などをハイライトすることに偏る反面、結局目指すと ころの個々の人々の生活をどのように改善するか、の視点が欠落していたとの反省に基づけば、
  • 2. なにはともあれ、pro-poor budget とすることに各国共通で重点をおいたことは、画期的であると いえる。同時に、PRSP は、中期財政見通しと対になっており、多くの国家計画で「事業」と中期 的財政とのリンクが断絶していたことへの反省が活かされている点も注目された。 一方で、「貧困層むけ予算の増大」の次に来るべき「貧困層を削減」するための道筋、そしてそ れを可能にする財源を確保する道筋は、特に初期の PRSP には触れられていない。初等教育、 基礎医療への予算配分の増大が実現すれば貧困が削減するとは PRSP 自体が述べていない し、その予算措置を持続的に可能にするための方策も述べていない(筆者注:HIPCs・拡大 HIPCsにより長期に生じる財政上の savings が前提の一つにはなっているが、explicitly な条件 付けではない)。そもそも、配分された予算を使って、所用の事業をどのように効果的に立案し、 実行するか、その機能そのものが、引き続き問題なのであった。ただ、PRSP は進化を遂げる文 書であり、ベトナムの PRSP や、アフリカ諸国についても第二サイクルの PRSP においては、成 長ファクターを盛り込んだものがでてきている。当然、次には成長を貧困削減にリンクさせること ができるかどうかが課題となっていく。 こうした認識の上で現地で観察してみると、PRSP の紙そのもの価値は疑問、しかし、この PRSP の作成過程にこそ価値がある、そしてこれは開発コミュニティが総意で支えるに値する、 というのが自分の評価である。役所間の意思疎通、市民社会などのステークホルダーの意見 聴取がその作成プロセスで課されていることもあり、第二回目のサイクルではよりそうした自主 性をもった取り組みは進展している。当初、オーナーシップは途上国側にある、といいながらも 結局世銀のコンサルタントが、後日承認されやすいようにキーワードを盛り込んで書いているで はないか、などといった類の批判があったのも事実ではあるが、少しづつ経験を積み自分たち でまとめるプロセスとなってきており、長い眼でみれば大きな意義があったと考える。 ガーナでの観察を例に、具体的に何が起きたかを紹介する。これまでは、各省が各セクターに ついて関心のあるドナーと話をして、各省とドナーがプロジェクト毎に一対一の取引をしていた。 一つの省内ですら、省内の各担当部局が、その特定の事項に関心のあるドナーと話を進めてし まうということが生じていた。省庁がセクター政策に照らして優先順位を付して予算要求を提出 する、財務省は集まった要求を優先政策に照らして査定する、というプロセスが踏まれていない ことで、国として当然あるべき行政能力を高める機会が失われていたのである。セクターワイド のアプローチは、ドナーが関心を持つ特定のセクターレベルでそのような欠陥を解消しようとの 試みが始まっていたものであるが、PRSP のプロセスはさらに進んで、セクターの垣根を越えて、 ガーナ政府とドナーグループと双方がそれぞれの役割において共同歩調をとるその機会を提 供した。オーナーシップも徐々に強化されている。第二サイクルの PRSP は、ドナー側の介入は 最小にとどめ、各層との対話もほとんど国内の人材で行った。(筆者注:一方で取りまとめの段 階での絞り込みは自前ではなかなか難しい、ある程度のガイアツは必要、という声があったの も事実。) 結果はまだ分からないが、このプラクティスを積むことで状況は変わっていくと思う。 財政支援は、ガーナの場合、PRSP の実施(implementation)を支援するための資金ツール、と いう位置づけで、世銀・英他のドナー間で開始された。具体的には、上述のように、行政として あるべき機能を再建してもらうために、途上国政府が自分の手に財源を持ったうえで、その資 金を優先度に沿ってどう配分するか計画し、実施するという機会を与える、という、文字通り PRSP の実施を促進するとの趣旨であると自分は理解している。ただし、一つのバスケットに資 金を入れる、というドナーからの資金の流れの変化の影響を、過大に評価してはならないだろう。 財政支援の効能と限界を見極めた上で利用することが大切だと考える。 ある国でうまくいっている開発の手法は簡単に他の国に当てはめられる訳ではない。それを前 提として、日本自身が経験した事例をお伝えしておきたい。
  • 3. 日本もかつては世銀の融資を受けた。そのプロジェクトの一つに、戦後の食糧増産政策の一環 として行われた北海道東北地方の泥炭地の開拓を支援する、機械化支援プロジェクトがある。 その一部、北海道の篠津泥炭地の土地改良に関わっていた恩師から聞いた話である。1950 年 代半ば、プロジェクト審査のために現地調査を行った世銀調査団は、土壌・気候のデータから、 土地改良後の使途として牧畜と小麦作を勧告した。これに対して日本側は、稲作を主張した。 データ上は、熱帯作物と一般にみなされている稲作ではなく、牧畜・小麦作が適していることは 明らかであったが、日本の農民・技術者は戦前から稲作の北限をあげるために努力し技術力も 充実し、また何より消費者も米を求めていたことから日本側は稲作を可能にする融資を求めた。 暗礁に乗り上げた後、最終的に調査団側が日本側の意志を尊重する形で稲作のための土地 改良に同意するとの決断に至ったという。 このエピソードで思うことは 2 点。一つは、外部からの支援を得るに当たって、何を達成するた めに支援を求めるのか、自らの意志を持って、科学的な裏付けも用いてドナーと対話できてい る国がどれだけあるだろうか。この意志と能力を引き出し支援するのが開発専門家の役割であ ろう。もう一つは、人々が求めるものが何か、それを達成するためにどのような道を辿るのが適 切なのか、を判断するのは最終的には当事者でしかない。手伝える側に回った今、過去に学ぶ というのであれば、自分たちは何を知っていて何を知らないのか謙虚に考えながら行動する、と いうことであると思う。 (質疑応答の中から) ○各国にそれぞれの特色、伝統、ニーズがあるので、ある国で起こっている事を他国に単純に 当てはめる事は困難である。アジアの経験をアフリカに活かす、という気合はよし、ただ中身は よく考える必要があるだろう。 ○支援も、かつて、途上国の多くが単独政党により運営されていたり、権限を集中して握る指導 者により治められていた時代には、トップダウンの形式でもワークしたかもしれないが、いまや 曲がりなりにも選挙で政権が代わり、人々の声が反映されるようになった。そこでは、援助の内 容やプロセスに影響を受ける住民が主体となるやり方が必要とされる。現地ニーズに会うように アプローチを修正できるかが、近年各ドナーがこぞって取り組んできた課題である。 ○どのセクターにおいても、何をどう改善したいのか考えている人々を見いだし、対話すること が重要になる。また現地住民がニーズを持っていても、思っていることを整理して表現できない ことも多い。それを引き出すためのコミュニケータの仕事も大切である。その土地に住んでいる 人がベストと思っている事を引き出す能力は、開発に携わる者に求められる最低限必要な能力 であると思う。 ○開発支援に関わるものとして、持っている知識や経験の限界を認識したうえで、虚心坦懐に 何をどうすればよいかを考えること、所属や守備範囲を超えてコミュニケーションをもてるネット ワークを作ることは重要であると痛感している。