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受験勉強の努力が実り、めでたく大学に入って初めての
レポートに挑戦する1年生に向けて、筆者はこれまで多く
の図書館利用ガイダンスや情報リテラシー講習会をおこな
い、「本の探し方」を始めとして雑誌・新聞記事や統計情
報などさまざまな情報の収集・評価法を教えてきた。
高校までの授業で教わった知識を効率的に覚え、入学試
験に向けて引き出せるようにコツコツと努力を重ねて来た
彼/彼女らには、もしもセンター試験の「日本史B」で得
点を競う対決をしたら、とても太刀打ちできないだろう。
しかし、例えば「東京オリンピック実施を日本の景気回復
に活かすための政策」などのテーマでレポートや発表を課
せられた時、必要な情報を探す手段として「一般検索エン
ジン」と「フリー百科事典」以外のツールを知っている新
入生はとても少ないことが、これまでに実施した(本学に
限らず、さまざまな受講者の)アンケート結果から分かっ
ている。
多少なりとも能動的に学んだ経験がある新入生は、図書
館の蔵書検索システムに「オリンピック」・「観光」など
のキーワードを入れて関連する書籍を探すという手を思い
つくが、このテーマについては開催決定後にも刻々と状況
が変わり続けているので、本に書かれた情報だけで具体的
な政策を立てることは出来ないことにすぐに気づくだろ
う。だからと言って、最新の情報を求めてWebの世界を地
図もなく彷徨い始めれば、余りにも大量で不確かな言葉の
海に、たちまち溺れてしまうに違いない。そのような具体
的な必要性に直面した際に、図書館司書による「裏付けあ
る情報の収集法」についての総合的な講習が大いに役立つ
ことも、アンケートから明らかになっている。
ここで挙げた「オリンピック」というテーマには、単な
る巨大スポーツイベントの実施という側面にとどまらず、
各国間の関係と歴史・宗教(礼拝や食事などの制約)・思
想・国際的儀礼・政治・経済・商業・税制・法規など、非
常に多くの要素が複雑に絡み合っていることは、社会的経
験を積んだ大人ならばすぐに思い当たる。しかし、そのよ
大学の現場から、学校図書館に期待すること
~「お勉強」から世界への橋渡し~
梅澤 貴典
第18回研究会概要
2014年10月9日(日)
赤坂区民センター 研修室
参加者各30名
2
うな複合的で学際的な概念は、高校までの教科書にそのま
ま載っている訳ではないので、それぞれの経験を通じて少
しずつ視野と興味の幅を広げ、自分の目と手で掘り下げて
学んで行くしかない。その時には、本などで学んだ基礎知
識に加えて、Web情報の真贋を見極められるだけの価値観
と評価基準も必要となる。
10代の頃は、教室外のさまざまな場(家庭・部活動・
アルバイト等)で協調性や社会性・責任感を学ぶことが人
格形成のためには欠かせない。それに加えて、いずれ社会
に出た時に挑むこのような諸問題を解決する力を養うため
には、教科書という枠に捉えられない幅広い知識と、柔軟
な発想力・思考力が求められる。ある者は映画や文学など
の作品から、あるいは1編のドキュメンタリー番組から、
それぞれの興味や問題意識が芽生え、遅かれ早かれ世界を
観る目が広がっていくことになる。公序良俗に反しない限
りにおいて、そのキッカケとなる出逢いは多ければ多いほ
ど良いし、また早ければ早いほど良い。
高校時代、かつて銀行でも勤めたことのある幅広い経験
を持つ社会科の教員が公民の授業中にふと脱線して、沢木
耕太郎が書いた「深夜特急」という香港からロンドンまで
の路線バス乗り継ぎによる単独旅行記の魅力について触れ
3
てくれた。あまり頻繁には余談を挟まないK先生であった
が、その本について語った日だけはついつい授業時間のか
なりの部分を費やしてしまった。それに気づいて慌てて本
題に戻ったのが、私にとっては、「家族以外の大人」がこ
こまで夢中になって1冊の本の面白さを語ってくれたのは
初めてであり、忘れられることのできない体験であった。
ところが「そんな面白そうな本があるんだな」とは感じ
たものの、当時は高校の図書室を「マジメな奴が静かに学
ぶ、自分にとっては遙か遠い場所」と捉えており、しかも
「どうせ、ためになる文学作品とかお堅い本しか置いてい
ないだろう」と勝手に決めつけ、探すことさえもしなかっ
た。当時熱中していた別のこと(フランス料理店のアルバ
イト)に打ち込む余り、書店で探しもせずに卒業してし
まった。今にして思えば、無限の知と出逢えたはずの図書
館という場の真価を高校時代に知らなかったことは、大き
な損失であった。
実際にこの本を読んだのは、もう少し後の話になる。大
学(夜学の英文科)に入り、昼間に学生雇員として働いて
いた大学図書館にあの「深夜特急」が納品され、その本に
透明ブックカバーを掛けようと思った時に、あの日に聴い
たK先生の脱線話がありありと蘇ったのだ。
案の定、私はこの本の虜となった。そのため、いつか
ワーキングホリデーで海外に飛び出すつもりで貯めていた
月々の給料は19歳の夏にヨーロッパを一周する貧乏旅行
の資金に消えてしまったが、これまでに見たこともない
国々を長く旅して、世界を観る目が格段に広がった(よう
に感じた)。無意識だったのか興味の片鱗があったのかは
分からないが、訪れた街に歴史のある大学や図書館があれ
ば必ず見学し、そこの学生食堂で腹を満たした。ソルボン
ヌ大学・オックスフォード大学・ボローニャ大学などで学
生達が活き活きと真摯に学び、ビールを飲みながらも教授
と熱く学術的な議論を交わしている姿を見て(内容がサッ
パリ分からないのが悔しかったが)、いま自分が日々の糧
を得ている大学図書館という場で真剣に自らの腕を磨いて
教育や研究の支援に役立つ未来を、朧気ながら夢見るよう
になってきた。思えばこの長旅こそがそのキッカケであ
り、本を正せば、あの日にK先生が熱く語ってくれた1冊
の本の魅力によるものであった。
「未知の世界を知りたい」と願うことは、教室の外に
「未知の世界があること」に気づかなければ思いつかな
い。そして、実際に自分の目で見て肌で触れて舌で味わっ
てみる体験は、Webで覗けるモニター越しの世界や2次元
の仮想空間とは全く異なり、場合によっては痛みやショッ
4
クがともなう(後日インド一人旅の初日の朝に、ある事情
により三輪タクシーの運転手に目から火が出るほど殴られ
た)。しかし、その痛みさえも含めて「知らなければ良
かった」と感じたことは一度も無く、危険を察知し世界と
日本の違いを知る座標軸となり、今も歩む目標へ向かうた
めの大切な糧となっている。
このように1冊の本との出逢いは、あるいは本との橋渡
しをしてくれる大人の存在は、多くの若者が受験という
ハードルを越える準備をする先の見えない不安な時代にお
いて、まだ見ぬ世界の窓を開けて未来を垣間見る機会とな
る。
やりたい事や知りたい事を見つけた上でワクワク感を
もって学ぶことは、たとえそれが受験勉強であったとして
も、意義の見えづらい義務感から「具体的な目標」へのス
テップとなり、苦しみから楽しみへと少しずつ変わるチャ
ンスにもなり得る。
授業と教科書と各科目の担当教諭から授かる知識は、も
ちろん貴重なものだ。高校時代にあれほど疑問に思ってい
た数学や倫理社会の必要性に、私は大人になってから痛い
ほど思い知らされた。しかし、まだ若い10代の若者に
とっては、それまでに抱いていた「お勉強」という感覚か
ら「将来自分が挑むべき課題解決に向けた準備」への橋渡
しとして、「興味のあることから世界を知り、夢を見つけ
て目標に落とし込んで行く」ための転機を掴むための「助
けの手」が必要だろう。
そのためには「授業から少し離れた自由度のある学びの
場」としての学校図書館とその司書の存在は、大きな推進
力になるはずだと考えている。そして、学びへの期待に目
を輝かせた新入生達が大学でそれぞれの目標に挑み始める
日を、とても楽しみに待っている。
5
10月9日、赤坂区民センターで梅澤さんにお話いただいた内容は、一つ目が「図
書館と公的データベースを活用した“裏付けのある”情報収集方法」、そしてもう
一つが「世界の図書館に行ってみたくなる話」と、何と豪華二本立て。どちらのお
話も、一本で充分なボリュームがあるにもかかわらず、無理を言ってこの二つのお話
をしていただいた。短い時間の中での弾丸トーク!(笑)その軽快な語り口に知ら
ず知らずのうちに引きこまれ、会場はしばしば笑いに包まれた。あっという間の中
身の濃い時間だったというのは、参加者の大半の意見だったのではないか。
梅澤さんの寄稿の中にある、必要な情報を探す手段として学生がどれだけその方
法を知っているかと言うことは、学生の学びを支えるという図書館の使命を遂行す
る上で、大変重要であると考える。前半の講義は、まさしくその内容にフォーカス
したもので、これでもかと検索ツールが出てくる。もちろん情報を得るためには有
料のものも多いが、無料のツールでも実は使えるものがたくさんあることに気づ
く。さらにそれらの情報源が“裏付けのある”ものであると言うこともまた、きわ
めて重要である。学生にどれだけの学び方、情報収集の方法を図書館が提示できる
か、あるいは図書館員がそのスキルを持っているかどうかという点は、その図書館
を使う学生にとってきわめて深刻な問題であることを痛感させられた時間でもあっ
た。具体的な使用例も提示しての講演は、とてもわかりやすく勉強になった。情報
は常に更新されていく。最善の方法で最新の情報を入手できる方法を我々はアンテ
ナを高くして入手しなければならない。そのことについて改めて感じた時間でも
あった。
さて、寄稿の後半部分、「未知の世界を知りたい」は、まさしく「世界の図書館
に行ってみたくなる話」に重なる。深夜特急に登場する大沢たかおさながら、バッ
クひとつで世界に飛び出す梅澤さんの姿が見える思いだった。世界には本当に様々
な図書館がある。ブータン国立図書館に始まった旅は、アレクサンドリア図書館、
イリノイ大学やクイーンズ図書館、デンマーク王立図書館など、エジプト、北米、
北欧を旅し、日本の図書館まで紹介してくれる盛りだくさんの旅だった。誰もが
きっと、行ってみたいお気に入りの図書館を見つけたことだろう。図書館以外の旅
のエピソードも可笑しく、旅の同行者としてあちこち連れていってもらった夢の時
間でもあった。
「未知の世界を知りたい」、ネットでもリアルでも。そう思ったのは、きっと私
だけではあるまい。
(工学院大学附属中学校・高等学校 司書教諭 有山裕美子)
Coordinator
from a
Education in the School Library
2015. Spring. No.10
2015年5月10日発行
学校図書館教育研究会
代表:桑田てるみ
国士舘大学
〒195-8550 東京都町田市広袴1-1-1
http://www.gakutokyoken.jp/
ブックデザイン・装丁・本文レイアウト・編集
庭井史絵(慶應義塾普通部)
唐澤智之(神奈川学園中学校・高等学校)
西村賢子(神奈川学園中学校・高等学校)

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