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2019年1月12日 於 しまだ楽習センター
島田近代遺産学会 講座「旧海軍 島田・牛尾実験所を探る」
島田の旧海軍研究施設と沼津
静岡県沼津市 渡辺美和
島田近代遺産学会・沼津史談会会員 NPO東亜天文学会会員
WATANABE Yoshikazu
1
The large parabolic antennas once in Shimada might be
partially manufactured in and around Numazu
2016.1.17沼津史談会、平成27年度「市民公開講座」沼津ふるさとづくり塾、2017.8.10天文学史研究会ミニ
シンポ、2017.12.3島田市-社会教育講座「旧海軍島田・牛尾実験所を語る」での発表などを基に加筆修正。
E-mail ; junowat@hi3.enjoy.ne.jp
渡辺美和 WATANABE Yoshikazu
1953年生 静岡県沼津市出身
本業 非鉄金属の需給動向調査
2003年から、5年間ほど、千葉市立郷土博物
館プラネタリウムで非常勤投影解説をしました。
2013年4月、沼津にUターンしました。
昭和20年頃、静岡県の現島田市に旧海軍施設があり、10m級のパラ
ボラアンテナが少なくとも2基存在していた。その内1基は未設置のま
ま終戦を迎えたらしい。
アンテナの製造には沼津も深く関わっていた。まだ不明な点も多い
が、或いは日本の電波天文学設備のモデルだったのかもしれない。こ
れらの島田と沼津の関係を振り返りつつ、当時の沼津の海軍関連動向
を紹介する。
2
要約と自己紹介
過去の軍事施設等に関わる見方
戦史または軍事技術への関心
軍事と科学者の係わり
軍事技術と科学史・産業史
生活と軍事の係わり
遺跡としての軍事施設
郷土史の中のトピックス
3
「だから何なのか」という視点とまとめが肝要
パラボラアンテナ parabolic antenna とは、金属の板や網で反射
器の回転放物面鏡をつくり,その焦点に主アンテナを置いてある形式
の電波を受信或いは受発信する装置。
4
パラボラアンテナとは
私達になじみがあるのは衛星放送受信用のアンテナ。このほかレー
ダーを含む電気通信や電波天文学の分野などでも使用される。日本で
最も大きな可動式パラボラアンテナはJAXA臼田宇宙空間観測所(長野
県佐久市)にある口径64m。
衛星放送受信用のアンテナ
出典;日本アンテナ(株)HPより
国立天文台水沢VERA観測所20mアンテナ
筆者撮影2006.10
5
今日のお話しの概略
・島田の旧海軍研究施設のおさらい
・沼津でも10mパラボラの部材加工
・かつての東京大学天文台に1953年に設置
された10mパラボラ電波望遠鏡との関連
(現国立天文台三鷹キャンパス)
・沼津の海軍工廠と海軍技術廠沼津分廠
・仮 まとめ
注;以下の本論の中で、旧日本陸海軍の機器等の型式番号については、本来的には「式」
や「型」などの命名基準が存在しているが、混乱もあり、引用原文のママとしている。
6
島田の旧海軍研究施設のおさらい
大井川渡河の旧宿場町で江戸時代には島田・金谷の宿があった。
静岡県島田市
静岡
沼津
浜松
至東京
至名古屋
最近は機関車トーマスを模した大井川鉄道でも知られている。
7
島田髷の発祥地
島田とは (この部分は島田以外でのプレゼンのための資料)
旧島田町;海軍技術研究所島田分室(1943)→後に改称
旧上川根村崎平;専用電力発電設備計画を伴った施設
島田実験所副所長(海軍技師)が、後に回顧して描いた島田実験所の絵
出典;河村豊、「敗戦時「引渡目録」にみるZ兵器開発の状況」、Il Saggiatore No37(2008)pp54
旧五和村牛尾;第二海軍技術廠牛尾実験所(島田実験所の疎開施設)
8
島田の3か所の海軍研究施設
よく見ると、こ
こに大きな金色の
パラボラアンテナ
(10m-S)
出典;新間雅巳、「島田実験所の沿革」、2014.7.5島田実験所ミニシンポ
マグネトロン開発と電波兵器応用のための基礎~応用開発研究
マグネトロンとは高出力マイクロ波発振用の真空管、レーダーに必要。 9
どのような人達が何を研究開発していたか
後のノーベル賞受賞者
湯川秀樹・朝永振一郎
後の文化勲章受賞者
小田 稔
後の東大東京天文台長
萩原雄祐
ほか当時の物理学精鋭
写真には写って
いないがこの日、
仁科芳雄も来て
いたらしい
大型パラボラアンテナがなぜ必要だったのか?
・電磁発生による航空機エンジンへの電磁的妨害 ・砲弾信管誘導
・マイクロウェーブ通信 ・見通し外通信 などという見方もある
出典は後述の「日本の戦後電波天文学簡史と島田」と同
10
島田実験所略史とパラボラアンテナ
年 月
1942 7 物理懇談会(核物理応用研究委員会)開催
1943 5 島田分室開所
この頃10mパラボラ-Sを沼津工作学校で製作
(時期不明:沼津工作学校で2mパラボラ×7台製作)
1945 島田実験所に改称
1945 3 牛尾実験所敷地買収
1945 沼津工作学校で10mパラボラ-U製作
1945 沼津海軍工廠で10mパラボラ-U用導波管の内面
金メッキ加工(終戦時未着手?)
1945 8 第二次世界大戦終戦
島田には旧島田実験場(今は島田の新東海製紙(株)がある場所)に
立地した島田理化工業の写真にパラボラアンテナが写っていた。
それまで噂で伝えられてた牛尾のパラボラアンテナの写真も発見され、
それが直径10mであったことも確認された。
11
島田にあったパラボラの記憶は風化 だが
大井川河川改修に伴い旧牛尾実験場
の遺構が取り壊されることによる調査
で、パラボラアンテナのピラー発見な
ど概要が再発見される。
2013年
河道改修の工事 筆者による2014.2.16
以下、区分が必要な場合は、旧島田町10mを
10m-S、 旧牛尾10mを10m-Uとする
12
2014.2、筆者撮影 牛尾遺構 牛尾実験所主建屋平面図(*)
わかり易く対比するため、図は原図を90度回転させた。矢印が同じパ
ラボラアンテナピラーを示す。
牛尾実験所遺構
*島田市教委、平成25年度大井川牛尾地区河道拡幅工事に伴う埋蔵文化財発掘調査
業務 概要(完了)報告書、2014.3
13
牛尾実験所の旧設備写真10m-U 、発掘される
終戦時引渡し文書にも「十米反射鏡」
14
牛尾実験所の終戦時引渡し記録でも確認(10m-U)
筆者による写真からの書起こし
パラボラピラー
南側ピラー上の孔加工?
南東側から見るピラーと遺構
写真は筆者により2014.2.16及び同3.21
高さ4.0m両ピラー間11m
15
調査のための伐採後の牛尾実験所遺構
西側展望 河原は大井川
16
沼津でも10mパラボラの部材加工
17
海軍沼津工作学校
沼津にあった海軍工廠
沼津でも海軍施設が部材加工などに関連
(現駿東郡清水町)
現在の静岡医療センター一帯
現在のフジクラやリコーの沼津事業所付近の一帯
航空写真はGoogle mapによる
沼津市地図は沼津市HPによる
海軍技術研究所
音響研究部
現在の沼津市下香貫一帯
その他ラボなどの施設所在地
江の浦、多比、淡島、長井崎、大瀬、下土狩
18
直径10mパラボラの製造に関わった浅野卯一郎(終戦時海軍大佐)の回想
この磁電管に組合せる反射鏡が必要であった。直径十米である。
会議の席上、私に作ってくれといい出した。
「材料は工廠から出すから、1ヵ月以内に作ってくれ」という。外で出来な
いとあれば仕方がない。引受けた。早速、神奈川県島越に住んでいる、海
龍の設計主任、佐藤五郎氏に設計を頼んだ。氏は1週間ばかりで作ってく
れた。教育局の諒解を得、沼津へ行って工作学校長に頼んだ。
梅林校長は「よろしい。やりましょう」と快諾して下さった。ここの教官に
小笹良光という快男子がいて、「よし、俺が引受けた。材料はすぐ送れ。
大至急だぞ。設計の材料表の外、硼砂、銀瑯、研磨紙、銅鋲、真鍮板、
真鍮溶接棒、コークス、いくらいくらよこせ」と相当量を要求された。
(10m-S)
浅野卯一郎、「勢号研究の思い出」、「自然」1950年12月号、pp56-61
沼津海軍工作学校でアンテナ本体の製造証言-1
19
荷物が沼津につくと、あらかじめ電話で連絡しておいたから、小笹氏はすぐ
学校へ運びこみ、工作工業場の一廓を仕切って、大反射鏡の工事をはじめた。
彼はまずコンクリートで抛物面鏡八分の一の曲面を作り、ガス溶接をした銅
板をその上で叩いて曲げ、小型の山型鋼へ銅鋲でつけて銀ろうをながし、1ヵ
月でみごとに完成した。
横須賀工廠で作った俯仰装置の歯車をとりつけた。これは旋回はできなかっ
た。鏡面は8個に解体し、自動車に積んで東海道を下った。途中に道幅の狭
いところがあり、ひっかかって、民家のひさしや屋根をこわしたが、修理にか
けては専門家揃いのこと、たちまち元よりよくなおして喜ばれた。島田へつく
と、すぐ組立てをはじめ、数日で完成した。まことに申分のない出来であった。
全重量は5トン半に及んだ。
浅野卯一郎(終戦時海軍大佐)の回想 続き
沼津海軍工作学校でアンテナ本体の製造証言-2
そこ(注;牛尾の意)に据えるため、もう1個の10米反射鏡を頼まれた。
沼津ではその10米のほかに,2米を7個も作った。
(10m-U)
20
「コンクリートで抛物面鏡八分の一の曲面」
沼津海軍工作学校でアンテナ本体の製造方法-1
「海龍の設計主任、佐藤五郎氏に設計を頼んだ」
「ガス溶接をした銅板をその上で叩いて曲げ」
「銅鋲でつけて銀ろうをながし」
沼津海軍工作学校でアンテナ本体の製造方法の詳細がすべてわかるもので
はないが、いくつかのキーワードを見ることができる。
新たな方法ではなく従来の造船手法
これは扇形に八分割した曲面という解釈か
当時の技術と抗張力から考えると厚さは0.8mm
~1mm、銅板幅は1m前後の圧延かと思われる。
ホウ砂はペーストだったと見られる。これは鋲によ
り何らかの枠に固定した意か
21
沼津海軍工作学校でアンテナ本体の製造方法-2
「小型の山型鋼へ銅鋲でつけて」
「山型鋼」は以下に示したアングル材
「小型」とは現在はA=40mm程度以下のサイズ
写真では、回転軸支持材を除いてはアングル材に見え、
中でも主構造は人物と比較すると幅10センチ以上ありそ
う。衝撃による歪が生じていることも鋼材を思わせる。
浅野の記述は、製造のごく一部で、本体主構造部材には
及んでいないように見える。
なお、以下の製作過程推定に依れば
銅板重量0.8~1トン 鏡面支持材1トン程度 と推定され
「全重量は5トン半」 に符合しそうだ。
22
沼津海軍工作学校では何をどのようにして作ったか-1
コンクリートで
八分割鏡面型を製作
銅板を接合(真ちゅうハンダか)
反射鏡面銅板加工
はり材支持枠加工
23
沼津海軍工作学校では何をどのようにして作ったか-2
銅板を副はり 又は 主はり
にリベット接合
主構造部材に接合
どのように行われたかまだナゾ
1 鏡面防錆は?
2 加工硬化防止は?
3 アングル材曲げ加工は?
24
沼津工作学校の
「海軍境界石」
筆者撮影、2015.8
於清水町長沢
ここで製造されたらしい
狩野川
現静岡医療
センター
現臼井国際
沼津海軍工作学校での製造場所推定
(出典;国立公文書館 アジア歴史資料センター、
「横須賀工作学校沼津分校」
25
沼津海軍工廠での部品加工 証言-1
沼津海軍工廠無線部々員を命ずというのである。(中略)
昭和二十年一月一日、私は沼津工廠へ着任した。(中略)
この工廠では航空機用、艦船用の無線兵器ばかりを製作しており、私は
その中の仕上工場主任として鈑金、仕上、鍍金、塗装を一手に受け持
つこととなつた。
これの中間プラントを組立てようというので、各メーカーにそれぞれの部
品の製作が命ぜられた。
沼津の私の工場では、電波をアンテナまで導く導波管の内面を金メツキ
することとなり、多量の塩化金を仕入れ、また、鍍金設備の拡充を行つた。
しかし遂にこれは物にならないうちに終戦となつてしまつた。
一方、静岡県島田では特殊研究として、(中略)極秘に研究が続けられ
ていつた。
元連合艦隊司令部附海軍技術大尉立石行男の回想
(10m-Uか)
立石行男、「今日の話題」第18集戦記版五月号「電探かく戦えり」、土曜通信社刊、昭和30.5
26
①立石は、「殺人光線」についてその実態は「強力な極超短波を発射して
その電磁界の作用によつて、飛行機の発動機の点火栓の火花を消し止
めて墜落させようというもの」と認識していた。
②昭和20年の沼津海軍工廠ではすくなくとも「十三号電探」は「此処でど
しどし製作されて」いた。
③文意から実際に加工まで行きつかなかったようだが、10m-U設備の
ために、多量の塩化金を仕入れ、また、鍍金設備の拡充を行った。
沼津海軍工廠での部品加工 証言-2
海軍技術大尉立石行男の回想 続き
事の正否は別として、われわれ技術屋は是非最後まで組み立てて見た
かつたと残念に思うのである。この最終プラントの規模は実に大きく、
電源として一寸した発電所を一つ必要とし、また、電波発射用のパラボ
リック、レフレクターの直径は、大きなビルディング位の直径になる筈で
あつた。
*島田実験所の10m-Sについては同じ工廠で行われたか否かは不明
27
沼津海軍工廠での部品加工-1
当時の海軍工廠の仕上工場と見られる建屋で藤倉電線沼津工場時
代の1954(昭和29)年の状態(*)。メッキ工場はこの建屋の奥1階に
あったらしい。筆者もこの建屋の2階事務所で勤務した経験がある。
* 藤倉電線沼津工場30周年記念誌、藤倉電線沼津工場刊、昭和60.7、p23
(出典;沼津資料集成4、佐藤一正『學徒通年動員日記』)
沼津海軍工廠での部品加工-2
当時の海軍工廠の図(部分)
28
拡大
至 のぼり道ガード
今も残る水路
新
中
川
囚
人
堀
29
かつての東京大学天文台に
1953年に設置された10mパラボラ
電波望遠鏡との関連
(現国立天文台三鷹キャンパス)
30
ところで天文学者も島田の設備に興味をよせた
「日本海軍がマイクロ波を熱心にやっていましたが、実はドイツのレー
ダー(独テレフンケン社とおもう)が(欧州の)占領地にたくさん置かれ、そ
のビュルツブルグレーダーは戦後の電波天文学に大変役に立ったのです、
たとえばオランダの21cm波の仕事。日本海軍は日本無線社に(中略)ビュ
ルツブルグレーダーの指導を熱心にやりました。それが島田にあるはずな
ので探していました。」 元千葉商大 故横尾広光 筆者あて私信 2013.9
1941年頃製造された7.4mパラボラ
Riese D型 構造は10m-Uと異なる
日本に導入されたパラボラアンナテ
形式のテレフンケン社レーダーとしては
陸軍でタチ24号、海軍で三式二号三型
と呼ばれた形式がある。
タチ24号などは放射状の放物面支持
部材と複数の同心円部材を組み合わせ
た主構造から成っていて、これは島田・
牛尾のアンテナ構造と同じ。
右写真はDeutsches Museum、Parabolantenne
Des Radargeräts "Würzburg-Riese"
31
太平洋戦争 レーダー開発史
日本陸軍がドイツの図面から製作したウルツブルグレーダー
1943年10月5日、ウルツブルグの図面を載せた潜水艦『伊8号』がブレスト軍港を発って12月に技術者とともに呉に到着し
た。図面が届くと陸軍と海軍はそれぞれ独自に『日本型ウルツブルグ』の製作を始める。
陸軍は開発責任者を新妻精一(注;正しくは「清一」か?) 中佐とする。レーダーシステムは東芝が担当し,真空管は東芝と日本
無線が,アンテナは東洋工業が担当する。ウルツブルグに使われている真空管は全部で11種類あり、8種類を日本無線がドイ
ツの図面をもとにして製作する。日本無線は長野にあった岡谷ガラスを真空管の工場に転用する。これが後の長野日本無線に
なる。テレフンケン社の送信管 LS180 も,テレフンケン社の図面を基にして製作され,3種類のブラウン管は東芝が製作した。
レーダー本体は日本無線の三鷹工場で2号機から5号機まで製作し,初号機は東京久我山の高射砲陣地に設置して,開発さ
れたばかりの15センチ高射砲と組み合わせられる。
http://home.e01.itscom.net/ikasas/radar/jprdf08.htm
第二次世界大戦中の日本のウルツブルグ レーダー タチ24
32
ドイツのレーダー開発 その2
*https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%84%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%B0_
(%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%BC)
WÜRZBURG-RIESE * http://home.e01.itscom.net/ikasas/radar/gerrdf02.htm
欧州では戦後にドイツレーダーを転用した電波天文学も
現代の JAXA 内之浦宇宙空間観測所設備
20mφパラボラアンテナ
内之浦宇宙空間観測所で一番高い台地に設置さ
れ、衛星からの電波(Sバンド及びXバンド)を受信
する直径20mのアンテナで地球周回軌道に打ち上
げられる科学衛星を追跡受信します。
http://www.isas.jaxa.jp/about/facilities/uchinoura.html
出典;Hiroshi Nakajima et al, “HIGHLIGHTING THE HISTORY OH JAPANESE RADIO ASTRONOMY3:EARLY SOLAR RADIO
RESEARCH AT THE TOKYO ASTRONOMICAL OBSERVATORY”, Journal of Astronomical History and Heritage, 17(1), p 7 2014
この電波望遠鏡は現在の三菱グループが納入、開発経緯や詳細仕
様などは、不明。エビデンスが残っていない。
33
現在の国立天文台には、かつて10m電波望遠鏡があった
34
島田10mとドイツ・ウルツブルグレーダーの構造比較
(パラボラ平面図)
島田10mパラボラ
ウルツブルグレーダーのパラボラ
島田10mは放射線状、後に欧州で接収され広く電波天文学用として使用され
たウルツブルグはラーメン構造と大きく異なっている。
旧陸軍タチ24、東京天文台10m、その後の日本の多くのパラボ
ラは、島田と同じ放射状構造が基本となっている。
35
「日本の電波天文学のはじまり ~戦時中の謎の大型パラボラアンテナを追って~」
国立天文台名誉教授・石黒正人
・東京天文台におけるメートル波太陽電波観測の開始
応用物理対談記事(文献10)で霜田さんは、「日本の電波天文学はこうして始まった」
というタイトルの章で、1948年5月9日の部分日食観測についてこう述べている。「パ
ラボラアンテナには、小幡重一先生が聴音器で音を集める実験で使っていた、木の枠
に銅版を張った直径2 mのもの(図04)を使いました。当時、三鷹の東京天文台では
畑中武夫さんが2本の棒を十字に組んで針金を張ったアンテナを使い、太陽をメート
ル波で観測していました。波長10 cmではまだ誰も観測していないというので、
やってみたのです。」
地元の郷土史研究家の中には、(島田の10mパラボラが)天文台のアンテナに転用
されたのではないかという方もいらっしゃいますが、その真偽は明らかではありません。
アルマーの冒険 第07回・外伝Ⅰ2017年6月1日発行/国立天文台天文情報センター出版室
(当時の東京天文台の10mパラボラの設計
モデルになったのではないか、なのだ。
(当時、)天文台のアンテナに転用されたのではない。
現在の国立天文台には、かつて10m電波望遠鏡があった
小田稔,「青い星を追って-私の履歴書」,1990.6日経新聞社刊、焼津天文友の会編,「宇宙へのパイオニア法月惣次郎」,1996、名大
空電研25年史、河村豊、「敗戦時「引渡目録」にみるZ兵器開発の状況」、Il Saggiatore No37(2008)、Hiroshi Nakajima et al,
“HIGHLIGHTING THE HISTORY OH JAPANESE RADIO ASTRONOMY3:EARLY SOLAR RADIO RESEARCH AT THE TOKYO ASTRONOMICAL
OBSERVATORY”, Journal of Astronomical History and Heritage, 17(1) 2014、天文月報、新間雅巳,「島田実験所の沿革」,2014.7.5島田
実験所ミニシンポ、立石行男,「今日の話題」第18集-電探かく戦えり,土曜通信社刊,S30.5,p45、 アルマの冒険 第07回・外伝
Ⅰ2017年6月1日発行/国立天文台天文情報センター出版室P11 等の資料から渡邉が作成
36
日本の初期電波天文学の略史と島田
年 月
1945 小田稔ら終戦後の島田設備でマグネトロンで実験
1946 6 東光商会設立(後に島田理化工業所と改称)
1946 萩原雄祐、東京天文台長就任
1947 小田稔、阪大太陽電波望遠鏡完成(旧海軍レーダー転用)
1949 頃 名大空電研田中春夫、アンテナ製作で島田理化工業所訪問
法月鉄工所による製作決定
1949 畑中武夫、萩原東京天文台長のもと、太陽電波観測
1951 東京天文台で10m電波望遠鏡計画開始
1951 3 名大空電研で2.5mパラボラ赤道儀完成(法月製、金網張り)
1952 8 東京天文台で2m電波望遠鏡運用開始
1953 8 東京天文台で10m電波望遠鏡完成
1948年頃にはアンテナ製作観測との資料もあり
37
旧東京天文台10mパラボラは島田・沼津ルーツか?
1 1951年から計画がスタートした東京天文台の10m電波望遠
鏡と牛尾パラボラの口径は一致。本体骨組みも似ている。
2 1951年から計画がスタートした当時の萩原雄祐東京天文台
長は1944-45年頃島田の実験所に勤務。
3 島田での開発には、日本無線(三鷹)の関係者も複数が従事。
4 10m電波望遠鏡は旧東京天文台(三鷹)で設置。
5 島田の成果の一部は、戦後設立された島田理化工業及び法
月鉄工に引継がれ、戦後の電波天文学等に寄与。
推察 1 東京天文台10m電波望遠鏡のモデルは、或いは島田実験所の、
牛尾などのパラボラアンテナかもしれない。タチの形式も色濃い。
2 口径の一致(可動パラボラには構造計算も必要)や人的つながり、
技術的つながり(日本無線などの存在等)が関連を彷彿とさせる。
3 1945年頃の日本のパラボラの力学的構造は「放射状」であり、ド
イツのラーメン構造とは大きく異なっていた。これは東京天文台
10mにも引き継がれているように見える。
38
沼津の海軍工廠と
海軍技術廠沼津分廠
39
①(1943(昭和18)年の開庁から)1949(昭和19)年9月までに目標200台
(沼津市史の昭和十七年七月二十三日「沼津海軍工廠建設計画ニ対シ本部長報告覚」)
②終戦時における同廠の月産生産能力は電波探信儀三〇組、軽便電信
儀五〇組、航空無線兵器各種八〇機分
(出典; 4、「佐藤一正『學徒通年動員日記』」解説)
日本の第二次世界大戦中のレーダー生産と沼津
沼津海軍工廠でのレーダー製造量
1941年度 1942年度 1943年度 1944年度 1945年度 計
A 17 338 1,450 8,983 2,975 13,763
B ― 67 1,356 4,108 283 5,814
日本の第二次世界大戦中のレーダー製造量の推定(単位;台)
A 東洋経済新報社編『昭和産業史』第1巻第3篇旧陸海軍需工業、P546
河村豊による「電波探知機」+「電波探信義」を「電波探知機(レーダー)」と見なした数
B 矢島弥太郎、「大東亜戦争と電波兵器」(艦船及び陸上用電波兵器生産台数)、
ただし海軍工廠による生産を含まない
ともに河村豊(*)による、なお、河村は計を示していない
* 河村豊、「旧日本海軍の電波兵器開発過程を事例とした第2次大戦期日本の科学技術動員に関する分析」
東京工業大学刊, 2001
40
日本の第二次世界大戦中のレーダー生産と沼津
当時沼津海軍工廠で製造されたレーダー
このレーダーは八木アンテナを用いたもので、沼津明
治史料館に展示されている。筆者撮影、2015.8
41
沼津海軍技研
沼津に設置されたのは音響研究部門で、
昭和16年(現沼津市立第三中学校とその周
辺約82,000坪が敷地)との記述もあるが、残
存史料からは15年頃から臨海施設用地決定
が始まり移転が18年らしい。この研究所のほ
かに工員宿舎・実験用水槽・作業場・倉庫な
ども配置されていた。
この研究所では空中・水中聴音機、潜水艦
探知機、電波航法、音波探信儀(パッシブ・ア
クティブソナー)技術などの開発研究が行わ
れた、またそのための清水町柿田川からの上
水引き入れは沼津の水道の基礎となった。
第二次世界大戦終結時の正式名称は第二海
軍技術廠音響兵器部沼津分廠
ぬまづの宝100選web もともとは沼津にあった大山元帥別邸を借り
た音響実験から(昭和12年頃)
42
沼津海軍技研の施設と終戦時引渡し目録
「仮称二式磁気探知機四型」とある。
43
沼津海軍技研での成果と残されたもの
小杉正雄(終戦時海軍工手)の回想
新保 勇(元防衛庁第5研究所)の回想
・昭和17年夏~秋、(現沼津市)長井崎のミカン畑の山の上へ、直径5m
位長さ10m位の鉄製巨大ラッパを設置、定期旅客機や音源船の爆音
聴取実験を行った。(40km位まで聞こえた事あり)
・音響魚雷の実験に阿部氏(注;詳細不詳)が横須賀へ出張(19年実験
完了。航跡(ウェーキ)変針魚雷) 本人手記
・ソーナーの連休開発で最も基本となる海洋中の音波伝搬の研究実験
がスタートしたのもこの時期である(注;昭和18年か?)。すなわち、海中
2点間の音波伝搬長期観測が淡島-久料間で実施された。また、水温鉛
直分布に基づく音道屈折と探知距離予察や指向性副局を抑圧した受波
器配列法などの研究が精力的に進められた。しかし、開花しはじめたこ
れらの成果も終戦とともに中断されてしまったことは戦後の我が国の海
洋音響技術の立場からは誠に残念なことであった。
オキシーテックニュースレター「海」No13 、1995.9、p11
44
沼津海軍技研での成果と残されたもの その2
筆者は久しい 以前か ら,沼津の三津(みと)海岸で 日本最初の「魚探実
験」が行われたという「神話」を聞いていた。木村喜之助先生のことである 。
(中略)実は筆者は昭和20年8月終戦の数日後 ,当時沼津の海軍技研音響研
究部で 木村先生の来訪を受けたことが ある。(中略)木村先生は昭和 2 年東
京帝大物理学科卒業後直ちに水産講習所技手 ,同 4年水産試験場技師に任
官されたが ,昭和 5年頃に至る 4年間 ,「音響装置ニ ヨル魚群検出法」を
テーマとし, 200 kHzの超音波を用い ,1kHzを重畳させて可聴音を 取 り出
し,これをヘ ッ ドホ ンで 聴き,電磁オッシロに撮影する方法で ,海岸(沼 津
市淡島〈あわしま〉沖 ),広島県大長養魚試験場で 綿密な る実用実験を繰
り返 したので ,現在見ても立派なオッシログラムが残されてい る 。当時と
しては超音波実験に用いる送受波器(水晶を用いるランジュバン方式)など適
当なものが容易に得られず ,非常に苦労されたらしい が ,実験対象の魚の
匹数など正確に数えてお られる点な ど,その後のエレク トロニクス技術関
係者の及ばない面もあ り, 実に貴重な報告書が多く残されてい る。
日本音響学会誌 42 巻 11 号 、1986.p882
平野正勝 「魚探の黎明期の思い出」
45
(昭和十六年)当時東京恵比寿の海軍技術研究所では、沼津へ音響研究部を移すこ
とは既に決まっていて、電気研究部四科の(航空無線研究室)宮沢技術大佐と私は音響
研究部に出向を命ぜられ、先発として私は単身沼津に着任いたしました。(中略)戦争末
期、本土の空襲も次第に激しくなって来たので、研究所の疎開も真剣に考えなくてはな
らなくなり佃業務主任の命を受けて竹見技大尉と私が日本海側を探しに探して最終的に
決まったのが石川県の穴水でした。(中略) 後日聞いたところによると、音響研究部の
沼津での最初の候補地は柿田原であったと云う。ところがこの広漠たる土地に農家が一
軒もないのは不思議だと思って調べたところ、なる程ここは富士颪(おろし)をまともに受
けて吹きさらしだということで、予定を変更して香貫に決めたわけであったが、大切な水
源についてはまことに迂濶(うかつ)であった。それと云うのも、千本から香貫へかけて
も所々自然湧水が出ている位だから、この一帯で井戸を掘れば水に困るなどということ
はあるわけがないと思い込んでいた。ところがいよいよ土地を確定してさてボーリングを
三ヶ所もやって見たが、全然予想外れで水が出ない。そこで大慌てで水源探しが始まっ
たというわけである。そこへ私が着任した。(中略) 自力で現地を調べることになり、沼
津駅から徒歩で半日も歩いて現在の沼津市水源池である柿田川湧水にたどりつきまし
た。(中略) ライン川の川底の事例を頼りに川底工事に成功いたしました。送水管の径
一二〇ミリのものであった。 今井三好著 「沼津技研物語」、昭和54年刊
沼津海軍技研での成果と残されたもの その3
今井三好 「海軍の遺産・沼津水源地」
46
仮 まとめ
47
仮まとめの前に 島田実験所を現代にしのぶ?
現掛川市役所
http://www.nikken.co.jp/ja/projects/N880051.html
株式会社日建設計の作例紹介web
島田実験所副所長であった水間正一郎海軍技師の
回想による島田実験所の絵
建物の上にパラボラが一部見え隠れしているところなど全体イメージが似てる、
また、主建物に向かって左に見える円柱状の構築物も配置といい、かたちといい、
似ている?更に、向かって右手のグリーンベルト(島田実験所の絵は植栽又は迷彩
された掩体壕か?)や、建物の前の大きな樹木などの配置も似てみえる?
48
仮まとめ
昭和20年頃、現島田市に旧海軍施設があり、口径10mのパラボラアン
テナが2基存在していた。 このアンテナ本体及びその加工の一部に現
清水町の旧海軍工作学校と旧沼津海軍工廠が関わっていた。
島田の10mパラボラアンテナは、状況証拠しかないが、第二次世界大
戦後の日本の電波天文学の初期の発展と大きくかかわっていると見られ
る。沼津も、間接的に、そのルーツだったかもしれない。(日本の現存10m
以上のアンテナは数十基ある)
沼津で第二次世界大戦中に製造されたレーダーは、推定だが、日本
の生産量の10%弱にあたるとみられる。沼津は一大生産基地であった。
§
§
§
論証が十分できていないが、島田に存在した2m×7基パラボラアン
テナと、旧東京天文台2m×複数基アンテナ干渉形の関係も今後検討
したい。牛尾では西側の山を用い発信実験や調整をした可能性もある。
§
§ アンテナ構造部材はアングル材と見られ、アンテナ構造部及び反射
鏡面の製作の過程が推定できた。
49
後記 筆者とパッシブレーダー干渉計実験
筆者は、中学生時代から星に興味を
持っていた。その一環で、商用FM電波を
利用した流星の位置決定開発のための電
波干渉計の実験に凝ったこともある。
素朴な設備で、データはわずかしか得
ることができなかったが、八ヶ岳のふもと
まで通っての実験は面白かった。今回、は
からずも日本の電波天文学のルーツとし
て島田そして沼津がつながっていたかもし
れないことが分かり、感慨深い。小淵沢北巨摩観測所1988年頃
おしまい
ご清聴感謝
筆者撮影 1988年頃

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